「私ですか? 先生の言った通り、凡人である私は絵を描くことを辞めました。今は普通のOLです」
「そうか。それがいい。君はもう絵にかかわらない方がいい」
マリは教師を眺める。
あの一瞬、彼が自分に見せた恋情は本物だったのだろうか。
自分が不在にしたあの数分に、彼の絵に筆を入れたのは彼だったんだろうか。
「……貝原は消えたんだろう。ようやく君を解放したんだよ。もう忘れて違う人生を生きた方がいい」
画家の失踪の噂は予想以上に広まっているらしい。
無名の高校から出た有名人は、卒業してもなお人の口の端に上るのか。
「先生は、どうして彼が消えたんだって思います?」
他に女ができた。
借金が返せなくて逃げた。
売ろうと思っていた絵が惜しくなった。
悪い理由を考えようと思ったらいくらでも出てくる。
そして他人は、悪意を持ってそれを広める。
教師は彼女を一瞥し、小さく笑う。
「さあ、でもあいつはキミに嘘はつかないと思うよ」
「嘘?」
「つけないから逃げたんだろう。一度だって奴が言ったか? 君を大切にするって。今まで君を自分のモノにしておきながら何の約束もしなかったんだろう?」
また一つ、切り傷が付く。今度のは、結構深かった。
教師は試すようにマリをみた。
「あいつの描く絵には色がない。色があったら成功しないんだ。闇しか描けない男は、君にはふさわしくないよ。あいつは自分でそれに気づいたんじゃないのか」



