「そんなことない。あるはずない」
マリは彼を信じていた。
だけど、他人の不信が彼女の表面に傷をつける。
否定するたびに、こちらに向けられる哀れみに似た視線が、マリから言葉を奪う。
信じていても、言葉に出すのが怖くなる。
「彼は嘘なんてつかない」
「バカだな。君も騙されてるんだよ。何も言わずに消えたんだろ?」
単純な事実ほど、マリを苦しめるものはない。
確かに彼は大したものを残してはいないのだ。
残されたのは“旅に出る”という宣言と、真っ黒な画板だけ。
マリは画板を抱きしめた。
何も書かれていない画板の何を信じればいいだろう。
“帰ってくるまで持ってて”という言葉には、明確な期限がない。
帰ってくるのはいつ?
数日だと思っていた。でもそれはもう過ぎた。
もうすぐ二週間が経つ。いつになれば帰ってくるの?
心には小さく傷がつく。小さな刺し傷が、たくさん刻まれていく。
それを示すかのように、背景のスクリーンにもナイフで切り付けられる映像が映し出される。
「……あれ?」
マリは画板の裏側に、鉛筆書きで文字が書かれているのに気が付いた。
【青い手毬、自分に打て。そして死……】
「……なにこれ」
意味の分からない短文だ。
マリは気になってアトリエに残された絵にも何かないか探した。
同じような位置にタイトルらしきものがある。
だとすればこの文が絵のタイトルなのか。
真っ黒に塗られただけの絵なのに?
青い手毬は何を指すの?
死という単語がひどく印象的で怖い。
文字は何の助けにもならず、むしろ混乱をもたらした。
「なにこれ」
マリはつぶやき、大きなため息をつく。
「私、信じていていいのかな」
その瞬間、舞台の明かりが消えた。
――場面転換だ。



