コクリバ 【完】

それから数日後、3時間目の終わりに化学室から教室に戻ろうとしていた時。
その人の声が廊下の後ろの方から聞こえてきた。

何人かの男の人の笑い声に交じって
「おまえだよ」
はっきりと聞こえてきた低音。
考えるよりも先にすばやく後ろを振り返っていた。

階段のところからこの階に出てきた3年生たち。
その集団の中に夏服を着た高木先輩がいた。

友達と笑いながらスリッパを引きずるように歩いてくるその姿に惹き込まれる。
映画のワンシーンみたい。
少し猫背気味で、片手でノートをつまんで歩いているだけなのに、目が離せない。
ドキドキと胸が鳴る。

ふと高木先輩が顔を上げた。

やばい。
途端に恥ずかしくなって逃げるように背を向け、早足で歩く。
なんで私が意識してんだって思うけど、そんなの言ってる余裕はない。

「おい」
はっきりと高木先輩の声が聞こえた。

私に?
私に言ってるの?

「待てよ」

追いかけてくるスリッパの音。

頬が熱くなったのが分かった。

やっぱり私に言ってる
だけど止まれない。

「セイヤ。どこ行くんだ。時間ないぞ」

更に遠くからそんな声が聞こえると、走るスリッパの音は消えた。

角を曲がると前を歩いていた絢香が振り返った。

「どうしたの?」

胸がまだドキドキ言っている。

「ううん。なんでもない」

そう答えるのが精一杯。
頭の中はさっき見た高木先輩の姿が何度も映し出される。

セイヤって呼ばれてるんだ。