「……泣いてるのか?」

涙を見せまいと俯く私に、圭悟が声をかける。
バレバレなのは分かっているけど、素直になれずに横に首を振った。

そんな私を見て、圭悟はひとつため息をつく。

「こんな時まで強がるなよ」

「……こんな時だからこそ強がってるのよ。圭悟にはもう、私の弱い所は見せたくないの」

そんな弱い所を見せて、まだ気持ちが残っているなんて思われたくはなかった。
私なりの意地がそこにはある。

圭悟は手を伸ばして、私に触れようとした。
その動きに気付き、圭悟の手を咄嗟に払う。


「触らないで!」

そして、そう叫んだ。

突然私が叫んだものだから、周りは驚いてこちらをチラチラと見ていたが、そんな視線など気にもならなかった。


ただ、圭悟に触れられることの方が嫌で嫌で仕方なくて。

私以外の女を触れた手。
私以外の女を抱いた手。

そんな汚い手で触れて欲しくないと、そう思った。



圭悟は払われた手をもう片方の手で押さえながら、とても悲しそうな顔で見ていた。
その顔が、心を苦しくさせる。

「傷付いているのは私の方なのに、どうして圭悟がそんな顔をするの!」


そう言って私は埋められた離婚届をテーブルから取り、千円札を叩きつけるようにテーブルに置くと、椅子に置いていた荷物を持って足早にその場を後にした。





……それから圭悟には一度も会っていない。

圭悟が仕事でいない時間によろしく部屋に行って、何回もあの光景を思い出してはトイレで吐きながら、自分の荷物を纏めた。

電化製品も家具も、思い出されるから何もいらない。

必要最小限のもの、それだけを持って家を出た。


そしてそのまま、全ての空欄が埋められた離婚届を役所へ出しに行き――……。




――私は旧姓、鳴嶋(なるしま)京香に戻った。