それから時々、僕はあの非常階段へ行くようになった。何度も足を止めて、僕は何をしているんだろうと考えたけれど、結局最後にはあの場所にたどり着いていた。

彼女はいつも僕より先にそこにいて、僕が現れると少しだけ驚いたような顔をしたけれど、僕を追い返したり、理由を聞いたりはしなかった。ただ僕の目をじっと見つめて、しばらくすると、座れば、と小さく言った。

狭い階段の隅と隅に二人で座って、ただただ時間を過ごした。制服の裾と裾が触れそうで触れないような距離。時々、独り言のように彼女が自分のことを話すことがあった。

両親と、年の近い弟と四人で暮らしていること。彼女は家族のことをとても愛しているということ。両親の喜ぶ顔が見たくて、幼い頃から勉強を頑張っていたこと。けれど最近、思うように成績が伸びなくなってきていること。両親が自分より優秀な弟ばかりを構うようになったこと。それに嫉妬してしまう自分のことが許せないということ。

ぽつり、ぽつりと小さな声で、時折鼻をすすったり、目元を拭ったりしながら、彼女はゆっくりと言葉を並べていった。僕はそれを黙って聞いていた。


「私のこと、嫌いなんでしょう」


最後の日、彼女はそう言って、僕を見た。

その日、彼女は一度も涙を流さなかった。両親から「お前はもう頑張らなくてもいい」と言われたんだそうだ。僕にはその意味がわかった。頑張らなくていい、は励ましの言葉でも慰めの言葉でもない。お前にはもう期待していないからどうでもいいんだと、そう言われているのと同じなのだ。僕にはその恐怖が、絶望が、痛いほど理解出来た。


「…どうしてそう思うの」

「だっていつも私のこと睨んでたじゃない」

僕は何も言い返すことが出来なかった。確かにそれは事実だったからだ。

「責めてるわけじゃないからね。昔からよく嫌われるの。慣れてるから」

別にいいの、と呟いて、彼女はまるで覚悟を決めるように小さく息を吸った。

「パパと、ママと、弟さえ私のことを愛してくれているなら、それでいいの」

「……」

「……よかったの」


僕は彼女のことが嫌いだった。

誰に何を言われても平気な顔をして、いつも凛と真っ直ぐ立っていて、彼女を見ていると自分のことが嫌いになりそうで。だけど本当はわかっていた。僕はきっと、彼女のことが嫌いなんじゃない。僕は彼女に、憧れていたんだ。

自分はこういう人間なんだと胸を張って周りに見せつけられる彼女が羨ましくてたまらなかった。僕は彼女のように正直な人間になりたかった。だけどなれなかった。そして、僕はそれを認めてしまいたくなかった。だからあのときも、僕は彼女に何も言うことができなかった。

羨ましくて、羨ましくて、手を伸ばしたくてもその方法さえわからなくて、彼女を憎むことでそれを誤魔化していた。今ならわかる。今なら。


「ありがとうね」

「…何のこと」

「話聞いてくれて、ありがとう」

「別に、独り言だろ」

「そっか。じゃあ、」


ありがとう、となりにいてくれて。

彼女はそう言ってから、ゆっくりと立ち上がり、じゃあね、と笑った。




その日、彼女は屋上から飛び降りて死んだ。