あ、という声が互いに重なったのがわかった。
隣にある男性用お手洗いからちょうど出てきたその姿に、わたしは思わず逃げ出したくなる。ひぃ、と1歩後ろにさがった。
「水瀬ちゃんじゃーん。飲んでる?」
出てきたのは、加地さんだった。
「飲んでますのでこないでください……」
「え、ひどくない?」
「わたしは警戒してるんです!」
加地さんといったら、すぐにわたしのメンタルを削ってこようとしているのか疑うようなことを言ってくるんだもの。
だから、そう。これは正当防衛だ。
「警戒されてても被害ないし面白いし、別に構わないけど」
「け、けど?」
「いじめたくなるよね」
「っ!」
ご遠慮願いたいです!
ぷるぷると震えながら、何度も加地さんに視線をやる。わたしはなにもされないように必死なだけなのに、それさえもいいネタにされてしまいそう。
加地さんは意地悪だし、佐野さんの反応はこわいし、なんなのもう。うちの営業では浅田さんだけが救いだよ。
なんとか怒りを噛み殺して、加地さんの前から歩き出す。離れようとしているのに、楽しげに笑い声をあげながらうしろをついてきて。
足の長さの違いのせいで遠ざかることがない距離に対し、さらに文句を口から吐き出そうとしたところで、
「そういえば水瀬さんってさ、また彼氏と別れたんだよね?」
わたしの名前が聞こえてきて、足をとめた。
「あー、そうだろうな。遅くまで残業してたし」
「水瀬さんが別れたらすぐにわかるよね」
否定できない言葉にそっと視線をおとした。わたしと同じように立ち止まっている加地さんの、大きな靴が少しうしろに並んでいる。
「水瀬さんはねー、尽くすところが欠点だよねー」
「いい子ではあるんだけどな、別れた相手としてはそのあとの行動にどきどきしそう」
ひゅう、と喉の奥から息を飲んだ音がした。小さなかすれたそれにまぎれて、心がじりじりと痛んだ。
そうやって身動きがとれずにいたせい。
「あ、」
気づけば、飲んでいたすずめの社員みんなが立ち尽くすわたしを見ていた。

