私を見下ろすその双眸は、なんでも受け止めてくれそうな、穏やかな深い色。
瞬きもせずに見つめられる瞳は、私の心を裸にする。
 
これ以上、その吸い込まれるような瞳と目を合わせ続けていると、自分が自分じゃなくなりそうで怖い。
 
強引にその視線から逃れ、チーズケーキをひとかけら口に放り込んだ。

「うん。やっぱり美味しい、です」
 
お世辞なんかじゃない。本当に美味しい。
それなのに語尾に迷いが生じたのは、やっぱり味や香りと記憶が繋がっているから。

このチーズケーキを初めて食べたのは、元彼と別れた翌日。
それと、志穂ちゃんからもらったという微妙な感情の記憶。
それと、今日はなぜだか過去のことも連動して蘇るものだから厄介だ。

まるで情緒不安定。うっかり泣きそうになったのを隠すように顔を背けた。
無自覚で積もり積もっていたのだろうか。感情が入り乱れていて混沌としてる。

なんで。私、そんなになにか、心に溜まってた? 
どうしよう。簡単に収拾できそうにない。

「あー……その、なんていうか。これは」
 
口角だけは上げることが出来たけど、やっぱり顔は上げられない。
でも、俯いてたらあからさまに泣いてると思われそう。

「香りと記憶は連動するような話きいたことありますけど、味覚もそうだと思うんですよねぇ」

私は、ごまかすように左手で前髪を撫でるように触れて目元を遮った。
視界を自分の手で覆っていたのに、さらに暗い影が落とされたことに気づく。
刹那、私の左手首に大きな手に包まれた。

「……だったら、またその記憶を塗り替えればいい」

その熱い手のひらによって、隠していた目が晒される。
同時に、私の瞳いっぱいに、神宮司さんの顔が映し出された。

目の前にある彼の唇が、薄らと開く。

「俺が上書きしてやるよ」
 
目を大きく見開いていたのに、視界は真っ暗。
それは、神宮司さんと私の距離が無くなったことを意味していた。

衝撃のあまり、テーブル上に置いていた紙袋に腕をぶつけ、中身が床に落ちる。
私はいつの間にか、そのマドレーヌの箱と同じようにラグの上に横たわっていた。

転がった箱から、仄かに漂う甘い匂い。まだ微かに残るチーズの香り。過去の記憶。

そして、組み敷かれた態勢から見上げる、神宮司さんの真っ直ぐな黒い瞳。
彼は有言実行するかのように、確かに私の記憶を甘やかに塗り替えていった。