「今でもそれを食べたら、その日に戻ったように思い出しちゃう」
 
ぼやける視界に大好きなスイーツの紙袋。
それを見て、もう一度笑顔を作って顔を上げた。

「危うく、神宮司さんのケーキまで、苦い記憶にしてしまうところでした」
 
涙目だったのを隠すように、わざと満面の笑みで目を細める。
神宮司さんは、驚嘆した目で私を見つめるだけで、なにも言えないでいた。
 
ふいと顔を逸らし、話題を変える。

「昨日はすみません。真剣に向き合ってる仕事場に、ああいう理由で来られても確かに迷惑ですよね」
 
弱々しい声で、深々と頭を下げた。
神宮司さんとは、まだ少ししか話もしたことないし、どんな人なのかっていうのは正直わからない。
 
それでも、ひとつだけ。

「神宮司さんの仕事への熱意が、あのケーキから伝わってきました」
 
彼は、パティシエ(この仕事)を半端な気持ちでやってない。
いつでも真剣で、それゆえ、厳しくもなるんだろうなと思ったから。

「ごめん……!」
 
すると、今度は神宮司さんが勢いよく頭を下げる。
怒られることがあっても、謝られることなんかないと思ってた私は、数秒放心状態に陥った。
 
……なに? なにが起きてるの? 
 
神宮司さんの旋毛を呆然と見ながら声を失う。
どうにか喉の奥から絞り出せた声は、掠れていた。

「やっ、やめて。顔、上げてくださいっ。なんで謝ったりなんか……」
「確かに、そういう理由で来られても困るんだけど。でも、言い方は他にもあったなと思ったし。それに……ちょっと余裕なかったから」
 
慌てて止めたけど、神宮司さんはその姿勢を崩さずに言う。

「八つ当たりみたいなもん。……ほんと、申し訳ない」
 
未だに顔を上げない神宮司さんの旋毛を見つめた。
時間が止まってしまったかのように、しばらくそのままだった沈黙を、私が破る。