「だけど、なかったことになんか一度もしようとしてない」
その芯の通った声と、迷いのない瞳に五感を全部奪われた気がした。
視界も音も。肌や細胞ひとつひとつが、彼の存在感で覆い尽くされる。
「完全に俺の勝手な話だよ。俺……どうしてもあのとき、いろんなことで自信持てなくて。そんな自分のまま、キミに告白する決断ができなくて」
テーブルを挟んだ距離感もわからないくらい、今の私は彼しか見えてない。
鼓動が、全身を駆け巡る。
「……あの夜は、キミを慰めるためにそうしたんじゃない。俺がキミに、寄りかかりたくなっただけなんだ」
絡まる指先、見下ろされる熱い視線。
重なる身体の重みは、全然苦しくなんてなくって、ただ幸福感に満ちていた。
何度も、優しくゆっくりと梳かされる髪は、まるで、彼にデコレーションされてるような気持ちになって。
その心地いい温度の彼の手は、魔法の手。
あのとき、私は魔法に掛けられたように、涙の味を忘れて、甘い思い出に書き換えられた。
そう思っていたけど、もしかして――。
「だからって、許されることじゃないと思ってる。逃げて悪かった」
「……私も、なにか神宮司さんの役に立ってましたか?」
ぽつりと自然と口から零れ出た。
神宮司さんは、切れ長の目を大きくさせ、そして笑った。



