思葉は慌てて遮って横を向いた。
顔を背けて首をさする。
「ほんと……何でもないから、その」
顔が熱い、湯あたりを起こしてしまったときのようだ。
狼狽しそうになるのを深く呼吸をしてどうにかおさえ込む。
どうしてだろう。
さっきまで、行哉のことなどちらとも考えていなかったのに。
なぜ、彼の姿を真っ先に思い浮かべたのか。
胸がまた疼く。
決して甘いものではない。
甘美なものでは、ない。
「……そっか。じゃあ、好きな人ができたときはちゃんと報告してね。
さすがに辻森に相談するのは気が引けるでしょ?」
ぽんと思葉の肩を叩いて、実央が自転車に跨る。
いつの間にか別れ道まで来ていた。
実央がリボンを基調とした可愛らしいデザインの腕時計を確認して、まだ間に合うと呟く。
「また明日ね、ばいばい」
「あ、うん、また明日」
自転車をこぐ実央の姿が、夕闇を抱える雑多な街並みへ消えてゆく。
見送ってから、思葉は家へ足を向けた。
頬の火照りは消えたが、まだわずかに胸が落ち着かない。
好きな人。思葉ちゃんにはいる?
「好きな、人……」
急に首筋がうそ寒くなった。
思葉は服越しに匂い袋に触れてあたりを見回す。
誰もいない。
カーブミラーに映る思葉くらいしか、人の姿はない。
皆藤さん。
矢田の双眸が浮かんだ。
少しも痛くない左手を握りこむ。
黄昏時は油断できない。
思葉は唇を軽く噛んで家へと小走りした。



