この目を見続けてはいけない。


本能が警鐘を鳴らし始め、思葉はさっと顔を背けた。


文庫を両腕で抱え、曖昧な笑みを浮かべて軽く首を振る。



「うっ、ううん、何でもないよ、じゃあね」


「うん、ばいばい」



矢田の返事を待たず、思葉はそこから駆け出す。


荷物を置いてある教室ではなく、真っ先にロッカールームへ向かった。


細かく震える手でカギを開け、匂い袋を取り出しぎゅっと握る。


瞼を力強く閉じ、深く呼吸を繰り返した。


怖い、たまらなく怖い。


早くここから離れなければ。



(逃げなくちゃ……なんだか、とても嫌な予感がする)



思葉はいくらか落ち着いたところで教室に戻り、鞄を背負って昇降口に急ぐ。


矢田とは会わなかった。


校門を出たところでいったん足を止め、大きく息を吐き出す。


もう一度手のひらを確かめてみても、やはり傷はなかった。



(おかしいな……確かに痛いと感じたし、傷もあったように見えたのに。


気のせい、なんかじゃないよね)



吹き抜ける生ぬるい風に身が震える。


思葉は左手を軽く数度握って、そこから歩き出した。







校舎の陰から矢田がじっとその姿を見つめ、坂道に消えたところでくすりと嗤った。