泣きやみいくらか落ち着きを取り戻した彼はしばらく静かにしていたが、ふと顔をあげてこちらを見た。


相変わらず彼の顔は見えない。


だが、やはり彼がどんな表情を浮かべているのかは伝わってきた。


さらに、彼の顔を塗りつぶしている靄は、今は墨のように真っ黒だった。


その向こう側にあるだろう彼の双眸と視線が合ったような気がして、思葉はひゅっと息を呑んだ。


危なげに煌めいている彼の目つきが怖い。


鋭利なナイフの先端のようだった、いや、それよりももっと凶悪で暴力的だ。


刃物や銃や爆弾など、人を傷つける道具の危なさを集中させたかのような目つきだった。


恐怖に縛られて身じろぎするどころか目をそらすこともできない。


やがて彼はゆらりと立ち上がると、おぼつかない足取りでふらふら台所へ消えていった。


小さな物音が聞こえて、思葉もそっと立ち上がる。


追いかけようか悩んでいると、程なくして彼がゆっくり戻ってきた。


背中に何か隠し持っているのに気づく。


思葉がそれを言及するより先に彼が声を発した。



「なあ、×××、おれはもうダメだ」



相変わらず水の中にいるような感覚がする。


けれども、先ほどに比べて音が僅かであるがクリアになっていた。


視界も靄の部分以外は、徐々にレンズのピントが合っていくようにはっきりしてくる。



「あいつに裏切られた……あいつに盗られた金は、親父とお袋がずっと守ってきた財産だったのに……。


それを、おれが潰しちまった。


酒に酔ってうっかり口を滑らせて……おれは本当に大ばかものだ」



声が鮮明に聞こえる。


同時に身体の感覚も強くなってきていた。


夢うつつだった、浮ついた感触がほとんどなくなる。


なのに、どうしてこんなに不安なのだろう。



「×××……もうおれにはお前しかいないんだ。


大事なのも、守りたいのも、お前だけなんだ」



だから、と掠れた声を落とした彼は背中に隠していた右腕をこちらへ見せた。