何はともあれ、今日は矢田の存在に怖がることなく放課後まで過ごせる。


それだけで思葉の心はかなり緩んでいた。


そしてその緩みのせいで、矢田以外にも警戒すべきものがあるということに気付けなかった。



「皆藤さーん」



昼休み。


お弁当を食べ終え、そのまま実央と最近できたケーキ屋の話をしていると、教室の入り口のほうから声が飛んできた。


なかなかの大声だったので、室内の賑やかさが少し収まり、視線が入り口に集まる。


そして、その視線は呼ばれた思葉の方にも向けられた。


こういう場面に限らず、注目されるのは苦手だ。


思葉は軽く首をすくめて立ち上がり、自分を呼んだ女子バスケットボール部のエースであるクラスメイトに駆け寄った。



「なに、金村(かなむら)さん」


「皆藤さんに用だって」



金村は立てた親指を自分の後ろに向けるという男の子らしい仕草でくいっと廊下を指すと、役目は済んだとばかりにさっさと教室に戻る。


金村が示したところに目を遣ると、そこには華やかな雰囲気の女子生徒がいた。


緩やかなウェーブのかかった長い髪に、シンプルなデザインの焦げ茶のカチューシャがよく似合っている。


顔立ちも整っていて、制服ではなく上品なワンピースを纏えばどこかのお嬢さまのように見えそうだ。


どこぞの名家出身だと言われても納得できる。



(えっと……誰、だっけ?)



上履きのラインカラーが同じであるから同学年だと分かるが記憶を巡らせても覚えはなく、思葉は戸惑って首を傾げる。


なんとなく見たことがあるような気はするが喋ったこともなければ同じクラスになったこともない。