『好き』と鳴くから首輪をちょうだい

粉雪はすぐに、大きな牡丹雪に変わった。
カリフラワーの頭の上にも、コートの肩にも雪が降り積もる。
リヤカーの、鉄製の引手を握る手はかじかんで、感覚がなくなりかけていた。


「これから、どうしよ……」


ず、と鼻水を啜る。
行先がないまま街を彷徨うのは、もう限界だった。

今日の日付を思えば、ホテルに向かっても部屋が空いているとは思えない。
帰れる実家もないし、この大荷物を抱えて泊まれるところなんて、どこにあるんだろう。


「う、わっと!」


リヤカーが、ガタンと止まる。アスファルトの段差に引っかかったのかもしれない。


「よ、いしょ。うあ!」


力任せに引くと、勢いよく動いた。バランスを崩してよろめく。
その拍子に、ばっきりと右のピンヒールのヒールが折れた。
足首も少しひねったらしい。地面を踏むと電流が走るような痛みを覚えた。


「さい、てい……」


道路にコロンと転がったヒールを拾い上げる。
お気に入りだったのに君までいなくなってしまうのね、と思うと新たな涙が溢れた。
涙を拭くのも面倒になって、顎先からぼろぼろと雫を落としながら、ふっと周囲を見渡す。

クリスマス一色の街中で、私は酷く異端だった。
古ぼけたリヤカーを引きながらぐずぐず泣いている、ふわふわアフロの女。手には折れたヒール。
誰もが私を見ないようにして通り過ぎて行った。


「世界に一人きりって、こういうことか……」


こんなにもたくさんの人がいるっていうのに、誰も私を見ない。
まるで、私という存在が消え失せてしまったみたいだ。


「ううー……」


泣きながら、私はバッグの中からスマホを取り出した。
小さなプレートのようなこれが唯一、私と世界を繋ぐもののような気がした。

アドレスの中から、友人である真帆を探し当て、コールする。
数回のコール音のあと、聞き慣れた友人の声がした。
しゃくりあげなから、達也がいなくなり部屋もなくなったので泊まらせてほしいと言った私に、真帆は大きなため息をついた。


『こうなるって、思ってた。あんなクズとは別れろって何度も言ったじゃん。あいつは女を食いものにするしか能のない馬鹿なんだって』

「だって……」

『だって、じゃないよ。あたしも千紗も、何度も忠告した。それを聞かなかった白路が悪い』


達也と付き合っていることは、友人たちには酷く咎められていた。
達也が不誠実だと、彼女たちは口を揃えて言うのだった。

女の財布を目当てに上手い事を言う。それを仕事にしている男なんて、信用しちゃダメだよ。

そんな彼女たちの言葉を聞かなかったのは、私だ。


『荷物だけ残されてたって言ってたけど、ちゃんと全部揃ってる? 金目のもの、なくなってない?』


真帆の言葉に、振り返ってリヤカーの中を見る。
剝き出しの洋服たちに雪が積もっているのを見て「ぐえ」と声が漏れたけれど、とりあえず見ないことにする。

あれ? アクセサリーボックス、積み込んだっけ?
そういえば家電の類もドライヤーくらいしかなかったような気がする。
同棲を始めた時、随分持ち込んだんだけどな。


「ええと……多分」

『……ない、のね。呆れた』


真帆が一際大きなため息をついた。


『警察行けば? 被害届出しなさいよ』

「え、っと。でも」

『そこまでしたくない、なんて言うんでしょう。こんな時でさえ。あんたってどこまでも甘いもんね。だから、いいように利用されるんだって』


元々真帆ははっきりした物言いをするのだけれど、今回ばかりは言葉の棘が胸に深く刺さる。
押し黙った私に、真帆は続けた。


『家に来なさいって言いたいけど、ごめん。今日だけは無理。彼氏が来てる』

「あ……そうなんだ」

『今の白路にこんなこと言いたくないんだけど……』


真帆がぐんと声音を柔らかくした。申し訳なさそうに口ごもる。


『ついさっきプロポーズされたばかりなの。明日は来ていいから、今日だけは許して』

「お、おめでとう!」


結婚願望の強い真帆が、七年付き合っている彼氏からのプロポーズを心待ちにしていたのはよく知っていた。
真帆にとって、今夜はとても大切な夜。
そんな時に、私が景気の悪い話を持ち込んでいいはずがない。


「ごめんね、私、他をあたってみるから気にしないで。本当におめでとう!」

『あ、白……』


慌てて通話を切った。
それから携帯をリヤカーの中に放り投げて、私はため息をついた。