ミラさんの子供のエッセイがとても良いですね。
それで思い出したんですが、このところ子供の頃とか凄い夢に見るんですよ。しかし僕は小さい頃に両親と離れてますから余り両親出ないですね。
祖父母ですね。それと何故かそこに小さな頃の甥っ子が出ます笑
甥っ子も九才になってなかなか会えなくなりましたね。
会うたびに頭に手を置いてますよ。大きくなったなです。
おじさんとの一番の楽しかった時期は終わったのかもですが、相変わらずおじさんはおじさんですよ
2才から七才くらいまでを細かく書けば良かったかなと思いますよ。
それとスマホに入ってるのは昔の女の子と酔っぱらった時の写メと今の女の子と甥っ子です。
それ以外はほとんど入ってないですね。基本的に現場に入ったらリュックに入れてるし現場で忙しいのに写メとか撮ろうとしてるの禁止します。
元請けが皆でデジカメで撮ろうって時だけですね。
スマホ持って歩くなと言いますね。
現場はハードなのでスマホいじるような時間はないからね。
僕のような立場になっても見張り番で行ってる時以外はいじりません。
休憩所以外ではいじりませんね。
高山さん電話してもでないからと元請けから言われて現場で作業してるときは出ないよと言ってます。
過去に仕事しながらケータイいじるのがいてそれが馬鹿な失敗したからケータイ投げ捨てた事があるくらいですからね。
現場は甘くないよです。
ミラさんの子供のエッセイ読んでたらもうその時期は親と一緒でないんですね。僕はね。
ある意味羨ましいですね。
しかし最終的に祖父母に厳しくされたけど実はとても気を使わせてて特に祖母は僕たちを預かってた時が一番幸せだったと遺言に書いてたからありがたい事ですよ。
祖父はまだ仕事してたからたまにしか帰らず祖母は兄と僕という二人の小さい男の子を育てるのに必死だったようです。
今母に色々聞くと最初の頃はお金も苦しくて僕らはジーパン履いてたんですがこっちではそんなの居ないからジャージを二枚送ってと言われてそのお金の工面に苦労したらしいです。
漁師町でしたからね。それも二枚送れば良いわけでは無くて着替えもいるからね。
一番経済的に苦しい時期だったようです。それを祖父母が立て替えたりしながら僕らはやってたんですよ。
子供だから厳しいよなくらいですよ。
今聞くと離れる事への不安は母も抱えて祖父母も抱えてしかし父の仕事に賭けたらしいですね。
小学校の高学年位から何とか安定して来たらしいですが最初はお互いに金銭的面でも色々な面で大変だったようです。
そういう事は聞かないと子供だから分かんないですからね。
兄は未だにそれに対して根に持ってるけど僕は祖父母も良かったけど田舎の漁師町の連中が新鮮でしたよ。
逞しさが違いましたからね。
それを見守る周りの優しいおじさんや怖いおじさん等がいたんですよね。
後年になってそこのトンネルを掘った事が有るんですが僕は他の現場があとに控えてて手伝いでしたが、まあ、歓迎されましたね。下に降りたらお菓子を持っていけとかね笑
○○ちゃんがこんなに逞しくなってですよ。
作業員に虐められてないかとかね笑良い思い出ですよ。