尾崎豊の十七歳の地図のアルバム出たの確か僕が十七歳の時です。間違えてたらすんません。
四月十日で四十七才になりましたね…もう何か凄い事が出来るとか思わないです笑当たり前か。
若い方の羨ましいのは、そういう夢を見られる事ですね。
まあ、だけどかなり好きな仕事で長くやってこれたこれはラッキーですよ。
勿論自分自身の力も有るけど、僕も相当なヤバイ時もあったので今生きてる事がラッキーですよ。
周りに恵まれましたね。仕事はね。
色々不満は有るけどね笑仕事してたら不満はあるよね。
家族の問題さえなければと思うけどそれも背負った物だと諦めてるし母などに精神的に助けられてる。
しかし、トンネルの作業員としてもしも戻るならギリギリの年齢ですね。
トンネルの作業員として最先端に戻るならです。
せいぜい五十まででしょうね。どうしても体力面で負けて来ますからね。
僕の最初の師匠的存在のトンネル屋が僕が二十代の頃にその人が四十代半ばで凄いですと言うと凄かったのは、三十代だと言いましたね。
そうだと今は思いますよ。当時は四十代後半の体力とか分からないですからね。
書く事に関しても随分遠ざかっててケータイ小説書く事によって戻った感じです。
しかし、二十代三十代は一般的な人より色々体験して良いことも沢山あったし良かったかなです。
若い人が羨ましい反面あー僕の頃の方がリアルは凄かったぞと思いますよ。
今は六十でも若いので、何か形にしていきたいです。
書く事もね。こうしてケータイ小説自体は全体的に好きではないけど、個人的に周りに恵まれてますからね。
それと三十代の頃はわがままでしたし客観的に自己を見られずに居たけど四十代になってやっと客観的に自己を見られてます。
落ち着きましたね。母とは沢山色々話します。昔はそういう時間を持たなかったです。
ラインやメールで誕生日のおめでとう来ましたが風俗嬢が結局合計五人いました笑
風俗嬢と言っても今は全く行かないので飲み屋で知り合った人です。
男からは二人ですね。友達って居ませんから笑居ないことはないけど、一人は喧嘩して別れて一人は亡くなってますね。
寂しい人生かも知れないけどなんと言うか有りがたいなとも思いますよ。
あーここまで生きたなです。そして甥っ子と沢山話せたなです。
若いガールフレンドも居るしまあまあ悪くないのかもです。描いた人生とはまるで違うけど同年代の男のなかでは良いほうかなです。
描いた人生とは違ってきます。しかし、何とか生き残るって大事です。亡くなった人の分までてね。
生きたくても生きられなかった人生が有ります。
リアルで何人も居ますが特に数名は非常に心に残ってます。
それを思えばまだまだ頑張って行かないとなです。
高校生の頃や若い頃に見た夢はかなわないだろうけど、それはそれですよ。
苦いもんですが、それも生きてくって事です。
両親も年はとって楽ではないけど、元気ですからね。
それと甥っ子も居ますから有りがたいなです。
まだまだ、書くのも頑張ります。よろしくお願いします♪