ある朝のことだった。ベッドの中で寝返りを打っていると、横に寝ている妻がうめいているのに気がついた。


「緑、どうしたんだ」


私は眠気も吹き飛んで、心配して声をかけた。妻の緑は、顔を真っ赤にして、汗をかいている顔をこちらに向けた。


「具合が悪いのよ。喉も痛いし、熱っぽいし……風邪みたい」


私は、緑の額に手を当てた。確かにひどく熱かった。初秋で、このところ気温の変化が激しく、体がついていかなかったのだろう。


「そうか。今日は寝てなさい。無理するな」


「そういうわけにはいかないわ。透(とおる)のお弁当はどうするのよ」


そうだった、と私は考え込んでしまった。


一人息子の透は中学三年生。食べ盛りの年頃で、おまけに野球部ときている。食べること、食べること、ごはんをおかずにごはんを食べるのではないかと思われるほどだ。


普通の子どもなら、母親が病気でも、弁当を持たせられないとき、コンビニで何か好きなものを買いなさい、と言えばいい。しかし、透は卵アレルギーを持つ。それで、毎朝緑が工夫を凝らして弁当を作ってきたのだ。小学生の時も、クラスで一人、給食を食べられなかったほどだった。



「でも、この熱じゃ料理は危ないよ」


「けれど……」


私たちは黙り込んだ。私は、自分が弁当を作ろうかとひらめいた。


「私が作るよ」


「それはありがたいけれど、あなた、独身時代だって包丁を握らなかったじゃない。それに、透はあなたとは口もきかないのよ。あなたが作ったって、意地でも食べないわよ」


透は難しい年頃だ。思春期特有の父親への反抗を繰り返し、たまに言うこともナイフのように鋭い。もう、長らく私たちは親しく口をきいていなかった。


だが、透の体が最優先だった。


「大丈夫だよ。いいから、任せて。どうにかなるよ」


そして、私は鳴り始めた目覚まし時計を止めると、緑を残してベッドを出た。緑は、上半身を起こして、心配そうに私を見つめていた。