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不思議なことにーーー帰る時、池の水鏡を覗き込んで見ると、そこに映っていたのは、そこらの人間と変わらない肌と、黒い瞳を持つ自分だった。


化け物のような姿が、嘘のようだった。


それから無事なにごともなく塔に帰り、そしてこっぴどく叱られたのを、嶺子は覚えている。

大人たちの咎めを受けても、へこたれなかった自身のことも、覚えている。


『人に優しくする方法を、教えてください!』


そう、強く頼んだことも。


“力”を制御する訓練も、二度と怪物に変身しない努力も、嶺子は全て鮮明に覚えていた。


あの湯豆腐を箸で持ち上げようとしているような、難易度の高い訓練は、無駄にはなっていない。


二十年という歳月が経ち、いま、その訓練が役に立っている。


洗面台の鏡に映った、鋭敏な目つきの自身を見つめて、嶺子は少しだけ、唇を釣り上げた。

仕事終わりの体は、じっとりと汗ばんでいる。

仕事着を脱いでTシャツを着ると、嶺子は忍び足で寝室に踏み入った。

時計の針は午前二時を指している。

当然ながら、部屋の中は咫尺を弁ぜぬ闇だった。

しかし、嶺子には部屋のなかがはっきりと見える。


ふたつ敷かれた布団。

そのうちのひとつが、ちんまりと盛り上がっている。

そこから出ている小さな顔の前に、嶺子はしゃがみこんだ。


「陽頼、ただいま」


布団の中で、最愛の恋人がお日様のように微笑んだ。










【終】