たとえ、聴き手が唯1人でも、或いは誰1人居なくても、こいつは1音1音大切に手を抜かず心を込めて曲を奏でるに違いない。




安坂は「音楽は心」、数年前まで師事していた師匠アランこと間崎の教えを思い浮かべた。





昨秋。


事故で怪我をした後遺症から、ヴァイオリンを元のように弾けなくなり、音楽への情熱を失ったアランに、再びヴァイオリンを弾く気持ち、音楽に携わる決意をさせたのも詩月の演奏だったと。




如何に弾くのか?

ではなく、如何に思いを伝えるのか?



安坂は、1音1音に託す思いの深さを考えさせられる。



「音楽は理詰めだ」という考え方も確かにある。




曲の構成、曲調、たくさんの音符記号など、曲の作られた時代背景と作者の生きざま等。



――そうした全てを踏まえる作業は、確かに「理詰め」と言えるかもしれない