あの日の彼の笑顔も思い出したわたしは、収まりかけた動悸がまた始まってしまって、はっとした。

そして、その記憶を振り払うように頭を振って、机の上の原稿用紙に向きなおした。


漫画の原稿用紙に触るなんて、産まれて初めて。
白い紙に、黒いインクのペンで描かれてるだけのものが、ものすごく綺麗に見える。

ユキセンセが描いた絵を、そっと指でなぞる。


あの手から、こんな綺麗な絵を生み出すんだなぁ。同じ人間の手なのになぁ。


自分の右手を開いて見つめながら、絶対真似できない、と思った。
彼の手だけが生み出せる、魔法の手。

しばらく、預けられた原稿用紙を眺めたのちに、ようやく自分の使命を思い出す。


そうだ。わたし、仕事頼まれてたんじゃない!


しん、としたリビングであわあわと一人で右往左往する。

“一人”というのにはワケがある。
“あの”あと、熱が上がりそうなユキセンセは、カズくんたちに、入りの日にちを一日遅らせて貰っていた。
頼める作業がまだ出来てないから、と。

その言い訳も確かに嘘ではないけれど。結局体調不良のことを伏せたあたり、やっぱりどこかプライドというか、そういうものがあって、素直に言えなかったのかなぁと思った。


「男の人って、そういうものなのかな……」


正面に見える、ユキセンセの大きな椅子を眺めてぽつりと漏らした。