「じゃ、わたしはこれで」
「昔はさ。“漫画家”になることだけを考えて。それだけを夢見てた」


カバンを肩に掛けて立ち去ろうとしたときに、背中越しに聞こえてきた。
独り言のように……でも、確実にわたしに聞こえるような、落ち着いた声で。


「ガキん頃からマンガ読むの好きで。そのうち、いつの間にかノートに落書きみたいに描いてさ。楽しいんだよなぁ、描くことが。で、『そんなんが仕事になるなんて夢のようじゃん』って」


時折麺を口に含みながら、わたしの方は一切見ないで前だけを見たまま。


「その夢が叶ったとき。生きててこれ以上ないっつーくらい喜んだ。『これから毎日好きなことだけして暮らせる』って」


カチャッと箸を揃えてお皿に置き、水を一気に傾けて飲み干すと、また口を開く。


「でも、現実には――さ。描けば載せてもらえるわけじゃなくって。なんつーのかな……“ようやくスタートラインに立っただけ”っていうか。勝って勝って……勝ちぬかないといけなくて。寝る間も削って、食事の内容も口に入れながら漫画描けるモンっていうのを優先するような生活してた」


寝る間も、食事も……。
それって、デビューしたあとも、今もそんなに変わらないんじゃないのかな。

外崎さんの食べ終えた、机の上の一枚のお皿をぼんやり見つめる。そして、あることに気がついた。

わたしが今まで雪生のところで食事を出したのなんて、数えられるくらいにしかしていないけど。でも、その少ない回数の中で、仕事中――要は締切前のときのリクエストの共通点が見えた。

親子丼とか、ピラフとかおにぎりとか。それって、全部お皿がひとつだけのもので。
締切明けのご飯は、サバ味噌とかそういう、定食みたいなものを出したけど、締切前には一度もそういうリクエストはなかった。

きっと、仕事中も食べやすくて場所のとらないもの、っていう共通点なんじゃないのかな。


「そのくらい、仕事に打ち込んでた。それでも、いつでも前にいるんだよ。手抜きなんか一切してない俺よりも、ちょっと前を、アイツは」


この人も、雪生も。社則も上司もない世界で、ストイックに仕事をしてる。