――――か、ぎ……?
それって、この鍵のこと……だよね……。


目に動揺を隠せず出し、頭の中ではスペアキーが入ってるカバンのポケットを思い浮かべ、カバンをぎゅっと握る。

本当は、こんなことダメだって、杏里ちゃんもわかってるんじゃないの……?
それとも、こういうことは、イマドキ普通にあることで、わたしが世間からずれてるっていう話?

預かりものの、それも、大切な人のもの。
当然、簡単にそれを人に渡したくなんかない。

だけど、彼女の力強い目に、臆病なわたしは後ずさりしてしまいそう。


「――ユキ先生の担当の、澤井さん」
「え――」
「その澤井さんが言ってたんですよね。『ユキ先生は修羅場前に、よく長湯する』って。『玄関で待たされたこと何度かある』って」


――――暗に言いたいことが伝わってくる。
『呼出音で出なかったら、あたしが困るでしょ?』って意味。

別に本当に押したり、触れられたわけじゃない。でも、その彼女の堂々とした威圧感で、よろけてしまいそう。
そして、まるで催眠術にでも掛けられたかのように、わたしは頭の中とは裏腹に、大切な大切なキーを差し出してしまう。


「わ、ゆるキャラー。へぇ、これ、ユキ先生の趣味かなぁ?」


杏里ちゃんはそういいながら、目線と同じ高さまで鍵を翳すようにして見た。


「じゃあ、先に行ってますね。すみませんが、湿布。お願いしまーす」


そうしてくるりと髪を靡かせ、軽い足取りでわたしの前から颯爽と消えてしまう。

……いまさら、後悔しても遅いのに。自分で自分を殴ってやりたい。でも、そんなことすら出来ないわたしは、雪生に軽蔑されるかもしれない。

――――そんなの、いやだ。


わたしは、カゴの中のミネラルウォーターを棚に押し戻すと、足早に薬局へと向かった。
湿布の話が本当なら、雪生が心配だし、走れば、そんなに時差は生まれないかもしれない。

そうして、一刻も早く行きたいマンションとは逆方向の道を、気付けば無意識に駆けだしていた。