…………え?
わたしが、『ぶつかって』?

ちょっと待って。このコなに、言ってるの?


唖然として、わたしは杏里ちゃんを見た。でも、彼女はわたしなんかに見向きもしないで、原稿を見つめている雪生しか見ていない。


「本当に、すみません……!」


あまりに堂々と言われてしまうと、人間って不思議なもので、『もしかして、本当にそうなのかな』って思ってしまう。
人間というか、わたしが、かもしれないけど……。

わたしじゃない。どこにもぶつかった感触なんて、感じなかった。
でも、もしかしたら服の裾とかに引っかけたかもしれない。だから、『100%違う』って言い切れなくて。

――それに。
雪生の大切な原稿は、事実汚れてしまったのは変わらない。
それは、わたしが原因でも、杏里ちゃんが原因でも、変えられない現実。


「……ごめんなさい」


雰囲気にのまれたわたしは、思わず謝罪の言葉を口にしてしまった。
それを言ってしまえば、認めたも同然にはなるけれど、もうこの際“誰が”とかはどうでもよくなって。

いくらなんでも、怒るよね。
もしかしたら、嫌われてしまったかもしれない。

雪生を真っ直ぐに見ることが出来ず、目線は原稿の位置までしか上げられなかった。
ぱさっと軽く投げ置かれる、別物になってしまった原稿用紙の行方を目で追う。
黒い染みを見ると、ズキンと心が痛む。


「大丈夫。時間あるし。それに、同じように描けなきゃ。プロとして」


ポンと背中に触れられた雪生の手に、思わず涙が出そうになっちゃう。

気休めかもしれない。でも、冷たくされたり怒鳴られたりするかもしれないと想像していた分、その優しい対応で一気に緊張が緩みそう。


「……なんて。なかなか“全く同じ”になんて描けないんだけど」
「え……」
「でも、“前よりイイもの”は描けるかもしれないでしょ。ていうか、それこそ描けるようにならなきゃね」


勇気を出して雪生を見たけど、半分くらいぼやけて見えてしまった。
なんとか涙を流すことは堪えたわたしは、コクリと小さく頷いた。