一瞬、浮いたと思った。気付いたら、わたしの胸の前で交差している腕に力を込められていて。
首筋をくすぐる感触に、ほんの少し顔を向けると、視界の隅にさらりとした色素の薄い黒髪があった。

しがみつかれるようにされたわたしは、フリーズ状態でそのまんま。
そこに、ぽつりと聞こえる声。


「行かないで……」


――――ズルイ。ズルイ、狡い。
こんなふうに縋れば、わたしなんてたちまち動けなることを、ユキセンセはわかってやってるの?


「怒ってるよね……?」


「怒ってる」? わたしは、怒ってるの?


「――――ごめん」


謝るのはなんで? なにに対して? わたしのことを、一時的な……なにかしらの感情で弄んだからとか、そういうこと?


「カラダが勝手に――」


そんないいわけ、一番つらい。だったら最後まで騙してほしい。
もうとっくに、わたしのキャパシティなんか越えちゃってて、進むのも戻るのもどっちも同じくらいに苦しいんだから。

それなら、いっそ、“経験値”。上げさせてよ。


「謝らないでくださいよ! 余計にっ……!」


わたしは拘束されてる彼の腕に手を掛けて、力を込めて握りながら言った。

背中に感じる温もりが。センセの髪から香る匂いが。わたしに触れてる、カタチのいい指が。
全てが、わたしの中に残って、わたしを狂わすから。


「……余計に……惨めに、なるから」


……泣いちゃだめ。泣いたら、辛うじて抑えてる感情(モノ)まで、全部流れ出てしまいそう。
それを出してしまえば、全てが崩れていきそうだから。

今までの自分も、これからの自分も。
ユキセンセの中にいる、わたしという存在も。