解説します。

ケータイ小説がなかった時代、小説を書いて、それを誰かに読んでもらいたいアマチュアたちは、文芸部だったり、何とか部だったり、クラブやサークルに所属したりして、そこで書く場を得ていました。

そのメンバーで作る機関誌に、自分たちの作品を載せて、お互いに読み合うんですね。

同人誌まで行けば別ですが、ほとんどの場合、機関誌なら、基本的に外へ出る事はなく、外部の人には読まれません。

そして、内容は、中学生は中学生なりの、高校生は高校生なりの、大学生は大学生なりのものでしかありません。

文章力という面でも、ストーリー作りの面でも、年齢なりの幼さが、当然ながら残ります。

当たり前です。



私も書くのが大好きでした。

それはもう、子どもの頃からです。

最初、小学生でマンガを書きはじめ、数年後から小説を書き出し、それからずーっと書いています。



ケータイ小説の、現役、中高生が書いているものを読んだ時、こんなことを感じました。



あ、これは、ウン十年前の私だ。



文章は拙さとか、幼さが抜けきれません。

社会に対する常識がまだ足りていなくて、調べる手段もないので、大人が見るとおかしな事が書かれていたりする。

でも、一生懸命書いている、書きたいという情熱に溢れている。

そして、こと恋愛だったり、友情だったりに関する描写は、非常にピュアで心を打つ。



私は、それらの作品の中に、かつての自分を見つけました。



かつて、私も通ってきた道を、彼女たちは今、歩いているのだと感じました。