「はい……。」


「莉子姉っ!!!」


「あゆむっ!」



私の腕に飛び込んできたその小さな体。

その体は、温かくて。

私の空っぽの部分に、ぴったりとはまった。



「歩、どうして、」


「莉子ねえ。」



腕の中で泣きじゃくる歩と、私は一緒に泣いていた。

何が何だか分からなくなる。

何が正しいのかすら―――



「歩。」



後ろから先生の、驚いたような声が聞こえた。



「莉子姉、いいよね。帰ってきてもいいよね。」


「歩っ、」


「僕、やっぱり莉子姉と一緒じゃなきゃ嫌だ!」


「いいんだよ、歩。帰ってきていいんだよ。帰ってきてくれて、ありがとう、歩。」



そう言った時。

玄関の扉が乱暴に開いた。



「どういうつもりだ。」



そこに現れた歩の父親は、私を睨んでいた。



「ほら、帰るぞ!」


「嫌!嫌だっ!嫌だ嫌だ嫌だあーーーーー!!!」


「何をしてる!帰るんだ!」


「莉子姉!」



泣き叫ぶ歩に悲痛な目を向けながら、また諦めようとしたときだった。



「お父さん。お言葉ですが。」


「……誰だ。」


「莉子の担任です。」



突然、跡部先生が進み出て、守るように私と歩の前に立った。



「担任の先生が何の用だ。」


「歩くんを引き取るなら、莉子さんも一緒に引き取ってやってください。お願いします。」



そう言って、最敬礼する跡部先生。



「それはできない。」


「それなら、何度だって歩は、ここに帰って来るでしょうね。」


「今だけだ。うちに馴染めば、そんなことはしなくなる。」


「そうでしょうか。」



先生が、凄味の利いた目で歩の父親を射るように見つめた。

それだけで、父親はびくり、と体を強張らせる。



「莉子さんは歩くんのことを、誰より大切にしている。歩くんも、莉子さんを誰より慕っています。貧乏でも、この子たちは幸せです。むしろ、二人を引き裂く方がずっと、残酷なことだと思いませんか。」


「経済的なことを考えても、高校生と小学生が一緒に暮らすなんて無理な話でしょう。」


「それならどうして、もっと早く迎えに来なかった?」



その言葉に、歩の父親は返答につまった。



「それは、」


「答えられないんだろう?あなたは、ただ歩を利用するつもりで引き取りに来た。だから。」


「お前に何が分かる!」


「私には分かります。今まで、莉子がどんなに努力して、歩とともに暮らしてきたか。歩が、どんなに我慢していたか。」


「それなら、」


「それでも!莉子は歩がいないといけない。歩も、莉子がいないと生きていけないんだ!」



歩の父は、先生のあまりの剣幕に言葉を失った。


立場的には、先生は随分弱い。

でも、今の形勢は、どう考えても先生の方が優位に立っていた。



「とりあえず、今日のところは帰る。ただし今後は、法的手段に出るかもしれない。それでいいか。」


「はい。」



歩の父が扉を乱暴に閉めて出て行く。

それを、私と歩は呆然と見ていた。

夢ではないかというように―――



「先生、」


「……よかったな。」



掠れた声で言いながら、先生は振り返った。

その顔には、切ない笑みが広がっていた。



「ありがとう。」



何度言っても足りないよ。

先生に、助けられてばっかりだよ。


私の、一番大切なもの。

自分の命より大事なものを、取り返してくれてありがとう―――



「さ、夕飯作るぞ。」



すっかり家に馴染んだ跡部先生は、エプロンをかけて台所に立つ。

私も慌てて手伝う。

そして、そんな私たちの背中に、まとわりつくように歩は甘えていた。


ジャガイモの皮をむきながら、幸せすぎて涙が出た。

そんな私を見つめる先生の目は、優しくて。

でも、その向こうにはあふれんばかりの切なさが、見え隠れしていた。



先生。

あなたのことが好きです。

伝えることは許されなくても、先生のことが、好きです。



これからも、ずっと先も。

こうして先生が、隣にいたらいいのに。

私の"明日"に、先生がいたらいいのに。



そう考えることは、愚かなことですか――――――?