叫んで手を伸ばした途端、吹き荒れていた風が嘘のように止み、男の姿は消えていた。
男が立っていたはずの場所は、何事もなかったかのようにいつも通りで、小鳥の囀りがのどかに響き渡る。
今起きたことが、まるで夢だったかのようだ。
しかし、夢ではないことはティアナの指にきちんと嵌められた指輪が証明している。
(まだ名前を聞いてなかったのに……)
茫然と立っていると、薔薇のアーチのほうから、ラナがワゴンを押して戻ってきた。
「ティアナ様、遅くなってすみません。ジル殿下がお菓子を用意してくださっていたんですよ」
ラナはいつも通りの笑顔で、ティアナの前までワゴンを運ぶ。
たった今起きた出来事を知らない彼女は、嬉々としてプレートの上に並べられたお菓子を見せた。
ラナの言うとおり、フルーツがたっぷりと乗った色とりどりのケーキが、いくつも並んで宝石箱のようだ。
「美味しそうね!」
言いながら、ティアナは指輪を嵌めているほうの手をラナに見えないように隠した。
「そうでしょう! 今、お茶を淹れますから」
ラナは楽しそうに鼻唄を歌いながらお茶を淹れると、人差し指をたてて、くるりと宙に円を描いた。
お菓子が乗ったプレートと湯気のたつティーカップが、ふわりと浮いてティアナの前に運ばれる。
テーブルのないこの庭で、ラナはいつもこうしてお茶をだしてくれるのだ。



