自らそれを逆転させ、新国王として君臨しようという企みを実行させたマウリス伯に対してアルフォンテ十二騎諸侯は当然抗議した。

 しかしマウリス伯は反対派貴族の妻子を人質としてナポレモ城内に幽閉し、反乱を封じ込めてしまった。

 ボシュニア公爵家名代ナヴェルだけは世継ぎの家族がいなかったため、呼び出しに応じなかった。

 マウリス伯はそこで温存してきたカードを切った。

 ナヴェルが国王殺害に関与した罪人をかくまっていると糾弾して討伐軍を派遣したのだ。

 国王暗殺の嫌疑を押しつけられた執事のシュライファーを地下牢から逃亡させたのがナヴェルであるという証拠はなかったが、まさにその証拠をおさえるためという大義名分を掲げた王家の軍勢がナヴェルの領地に侵入した。

 ここにいたってナヴェルはフラウムに援軍を求め、自らは城館に籠城し、徹底抗戦を宣言した。

 フラウムから仲介の使者が派遣されたが、それに対するマウリス伯の返答は驚くべきものであった。

『摂政マウリスはバルラバン帝国の承認を受け、新国王としてアマトラニを統治す』

 これにより、アマトラニ王国は完全にマウリス伯の手に落ち、東方の異教徒の勢力下に入ったのであった。

 カーザール帝国はアマトラニ討伐軍を編成し、ナポレモへ急派した。

 対してマウリス伯はナヴェル討伐軍を呼び戻すと、バルラバン帝国へ援軍を要請し、商人達から物資を召し上げて籠城の準備を完了させた。

 年明けにカーザール帝国軍はナポレモを包囲し、マウリス伯に降伏を迫ったが、返答はなかった。

 ただ、マウリス伯にも誤算があった。

 バルラバン帝国は援軍を派遣しなかったのである。