「んん~、痒い」

 再び脱衣所で、深成が首筋を掻き毟る。

「駄目だよ、そんなに引っ掻いちゃ。真っ赤になっちゃってるよ」

 深成の首筋を覗き込み、あきが言う。

「酷いねぇ、虫刺され?」

「ん~……。何かに負けたのかも」

 言うまでもなく、この首筋の赤味はキスマークを隠すためだ。
 ぽりぽりと掻いて、少し大きくし、後は『痒いから掻いているうちに赤くなった』と印象付ければいい。

---もぅ、真砂は後先考えないんだからっ---

 ちなみに胸元は、首よりは薄いし、隠そうと思えば隠せるので、特に何もしていない。
 ぱぱっと身体を拭いて、さっさと浴衣を着てしまえば見えないはずだ。
 あきのレーダーには引っかかっただろうが。

「この後はご飯だよね。楽しみ~」

 髪の毛を乾かして出て行くと、ロビーに捨吉と六郎がいた。

「あっあんちゃ~ん」

 ぶんぶんと手を振って駆け出した深成だが、浴衣の裾を踏んずけてしまった。

「んにゃっ!」

「危ない!」

 素っ転ぶ直前、素早く駆け寄った六郎に抱き留められる。

「ご、ごめんなさ~い」

 小さいのでほとんど宙に浮きながら、へら、と深成が見上げると、何故か六郎は彫像のように固まっている。
 深成を支えている腕も、何か不自然なほどかちんこちんだ。

「どーしたの、六郎さ~ん」

 六郎の腕にぶらんとぶら下がったまま、深成が訝しげに見上げる。
 上を向いているので深成は気付いていないのだが、裾を踏んだせいで浴衣が乱れているのだ。
 さらに抱き留められているため、変に合わせが弛んでいる。

「ご、ごめん!」

 千代と違い、深成の胸元などあまり色気はないのだが、真面目な六郎は眩暈を起こしながらも、焦って腕を振りほどいた。
 が、固まっていた身体を無理やり動かしたこともあり、思った以上に力が入ってしまったようだ。
 深成を投げ出す形になってしまう。

 宙に浮いた状態から投げ出されたので、深成は思いっきり地面に叩き付けられた。

「にゃっ!! 痛い!!」

 べちゃ、と床に投げ出された深成が、頭を押さえて蹲る。

「ああっ! 深成ちゃん、ごめんね! 大丈夫?」

 慌てて六郎が屈み込み、深成を助け起こす。
 そのとき、乱れた浴衣の合わせから、ちらりと深成の胸元の赤味が見えた。

---……!!---

 六郎の動きが止まる。

---こ、これはっ……。もも、もしやキスマークというものではっ……---

 そう考えれば、首筋の赤味も元はそうなのではないか? というか、こんなところにキスマークということはっ!! と、ぐるぐる考えているうちに、六郎の体温はどんどん上がる。

「ちょっと、どうしたんだ。深成、大丈夫なの?」

 挙動不審な六郎に業を煮やし、千代が深成を覗き込んだ。

「うう、千代ぉ。痛いよぅ~」

 しくしくと泣きながらくっついてくる深成をあやしつつ、千代は深成の浴衣を直す。
 そして、じろ、と六郎を睨んだ。

 屈み込んだまま固まっている六郎は、深成の浴衣の合わせを覗き込んでいるような格好なのだ。
 しかも顔が赤い。

 千代の、『この助平が』という視線に、六郎は我に返って、さらに慌てた。

「ち、違うんだ! 私は、その……」

 焦って弁解しようとしていると、不意に背後が寒くなった。
 振り返ると、真砂が仁王立ちしている。

「何をしている」

 静かな物言いだが、纏う空気は氷点下だ。

 泣きながら千代に引っ付いている深成。
 その深成を庇うように、少し前に出ている千代。
 そして、千代に睨まれている六郎。

 これだけで真砂がどう思うか、傍目にも明らかである。
 真っ赤だった六郎の顔が、一気に蒼白になった。

「……貴様は、また……」

 低く呟いた真砂に、思わず六郎は身構えた。
 六郎がしゃがんでいるのをいいことに、このまま顔面に蹴りを入れられそうだ。

 が、幸いそんな張り詰めた空気を、風呂場から出て来た羽月が打ち破った。

「清五郎課長~、お風呂今からですかぁ~? 今丁度空いてますよ~。でももうすぐご飯ですから、ちょっと急いでくださいね~」

 真砂の後ろにいた清五郎に駆け寄り、明るく言う。
 そして深成を見、階段を指差す。

「深成ちゃん。下の売店に温泉饅頭があったよ。今焼き立てだって!」

「ほんとっ?」

 一瞬で打った膝の痛みも忘れ、ぱぁっと深成の顔が輝く。

「千代、お饅頭焼き立てだって! 買いに行こう?」

「……そうだね。怪我はしてないかい?」

 千代もとりあえず、この場は納めたほうがいいだろうと、深成の手を取って立ち上がった。
 ほとんど呆然自失の六郎の横をすり抜ける。