まだ僕が幼かった時。神様について勉強をしていた従兄弟に、訊ねたことがあった。
 
―神様は本当にいるの。
 
従兄弟が困ったのは、いくら神様について勉強し、信仰しようとも、己の眼で確かめたことがないからだ。

「本当に?」と言えばそれは分からない。

誰かから聞いただけではそれは確かめたことにはならない。

まず、「本当」を知るには己で全てを見なければならない。
 
―人は、神様が必要なんだ。
 
従兄弟はやがて、そう言うと、僕の頭に手を置いた。

穏やかな従兄弟は、僕より五つ年上で、僕にとっては全てだった。
何でも知っていて、何でもできる。
僕が信じられるのは、従兄弟だけだった。