それから部屋に籠って、机に突っ伏していた。

今日の出来事は、一生忘れないだろう。

唯一の友達のお父さんが、マエゾノさんだったという現実。


大好きな、マエゾノさん。

おかえり、と言ってくれて。

母に、本当の笑顔をくれて。

我が家に、幸せをつれてきた。


楓は、一生私を許しはしないだろう。

何もなかったことには、できないだろう。

どんな事情も関係ない。

私のお母さんが、マエゾノさんと不倫関係にあったことは、逃れようのない真実なのだから。



ガチャリ、という音が聞こえて、はっとする。



私は、立ち上がってよろよろと階段を降りた。



もう、明るい玄関ではない。
明かりのついた、温かな居間も、ない。


ただ、そこに立ち尽くす、母の横顔が切なかった。



「お母さん……」



母の目に、私は映っていなかった。
ただ、薄い膜のように涙が目を覆っていた。



「お母さん、もう、」



「わかってる。」



ついにこぼれ落ちた涙を、ぬぐおうともせずに、母は俯いた。



「全部、分かっていたの。」



「え―――」



きっと、母は何も知らなくて、だからものすごくショックを受けると思っていた。

でも、母は知っていたんだ。

知っていながら、彼のそばにいた。



「そうだったの、お母さん。」



「ごめんね、……唯。」



初めて、面と向かって母に謝られた。



「お母さんは、悪くない。」



本心からの言葉だった。
今まで母から受けた様々な虐待も、冷たい言葉も。
何もかも、運命のせいだって、いつも思っていたよ。

お母さんのこと、恨んだことなんて、一度もない―――



「唯―――、ほんとは、ほんとは違うの。」



「何が?」



「あなたのお父さん、……あなたのせいで自殺したわけじゃない。」



「っ、」



今までずっと、胸につかえていたものが、すっと溶けてなくなった気がした。

気付いたら、涙が頬を濡らしていて。



「お父さん、罪を着せられて。」



「え?」



「会社で、罪を着せられて。借金、ものすごい額を、抱えさせられて―――だから、家族に苦労させるからって……」



「そうだったの―――」



私、幼すぎたから。
お父さんの苦悩なんて、何も知らなかったよ。


何にも知らなかったから、だから。


自分のせいだって、ずっと、思っていた。



「ありがとう、お母さん。」



心の底から言った。



「話してくれて、ありがとう。」



ごめんね、と繰り返す母は、今までとはまるで別人のようだった。



マエゾノさん―――



あなたはいなくなってしまったけれど。

あなたが残してくれたものは、こんなにも大きい。


目の前からいなくなってしまうとしても、それは無になってしまうことじゃない。


あなたがいたこと、それは、私の心の中に、くっきりと刻まれているから。












ねえ、先生だって―――――