「あ、利乃。おかえり」
家に帰ると、お母さんは珍しいエプロン姿で私を出迎えた。
「…ただいま」
驚きながら、ローファーを脱ぐ。
すると、玄関に昨日と同じ黒の革靴があることに気づいた。
…また、来てる。
「今日はねぇ、ママが夕飯作ったのよ」
ニコニコしながら、何年も前から変わらない色の赤い口紅を引いて、お母さんはリビングの扉を開ける。
その後ろ姿を、私は呆然と見つめていた。
…今まで、夕飯なんて滅多に作ってくれなかったのに。
お母さんの帰りは遅いから、自分で作って食べていたのに。
あの人が来たら、エプロンなんか着て、つくっちゃうんだね。
「………私、いらない」
「え?」
お母さんの歩みが、止まる。
私はかばんを引きずりながら、廊下を歩く。
そのまま、二階への階段へ向かった。
「夕飯、いらない。気分悪い」
「なに、熱でもあるの?」
「…知らない。もう寝る」
急いで階段を上がり、自分の部屋へ入って扉を閉める。
ベランダのガラス窓から、真っ暗な空を眺める。