俺が我妻さんの下にいると、なぜ紫に気付かれたのかも分からない。
一週間前我妻さんのパソコンに入っていた全メールをチェックさせて貰ったが、俺の名前は一度も出て来なかった。
送受信それぞれのメールの繋がりに不自然さもないから、
俺に見られたくないメールを削除したとも思えない。
不自然さはない。
我妻さんが嘘を付いているとは思えない。
不自然さ…か…
そうだな…不自然さがあるとするなら、
それは紫も我妻さんも、俺の名前を一度も出さなかったと言う事か……
我妻さんからのメールに、俺について尋ねる言葉が一度も無かったと言う不自然さが、反って紫に俺の所在を推測させたのか…?
いや…これは違うな。
それは些(イササ)か勘が良過ぎると言う物だろう。
紫は鈍い。
相手の言葉を額面通りに受け止め、裏を読んだりするのは苦手だ。
素直で鈍感な彼女は、そんな風に推量したりしない。
では何故…?
その疑問は、紫に頼まれここまで来た大樹に聞くしかない。
そう思い「紫は…」と口を開いた瞬間、
俺の体は2メートル後ろの壁まで吹っ飛ばされていた。
殴られた左頬に強い痛みを感じる。
背中と頭を壁に打ち付けて「ゴゴン」と鈍い音がした。
その衝撃で壁に掛けられていた無名の画家の美しい風景画が落ち、
木製のフレームが割れて破片が弾け飛んだ。
狭い玄関に木霊(コダマ)するアナスタシアさんの短い悲鳴。
その声を耳にしながら、みっともなく床に崩れ落ちた。
口の端と内側が切れ、血の味が広がった。
その血を拭う暇もなく、仰向けに寝そべる俺の上に大樹が馬乗りになる。
胸倉を左手で掴み上げられ、シャツのボタンが一つ弾け飛んだ。
硬く握られた右手の拳は、宙でニ発目を与える準備をしている。
「このっ大バカ野郎が!!
紫の痛みはこんなもんじゃねーぞ!
歯ー食いしばれや、あいつに与えた痛みの分、ボッコボコにぶん殴ってやる!!」


