開けたままのリビングのドアからは、会話の内容までは聞き取れないが、
イワンさんの他に、男性2人分のロシア語の発音が聴こえてきた。
その声に緊迫感は感じない。
それどころか、来訪者の笑い声が響き…何故か拍手の音がした。
俺を含む食卓に残された皆の緊張が一斉に解けた。
笑い声と拍手の理由は分からないが、
不安や緊張を感じる様な来訪者では無いと分かり、
アナスタシアさんは空いた食器を片付け始め、
タマラさんは、食後の紅茶の用意を始めようとしていた。
そこにイワンさんが戻ってきた。
「誰だったの?」
タマラさんが尋ねるが、彼は何かを考えている風に首を捻り、青い視線を俺に止めた。
「イワ…おじいちゃん、どうしました?」
「リュウ、お前さんは一人っ子じゃなかったかのう?
今玄関で待たせてる日本人の男の子は、君の生き別れた弟だと言うんじゃが…」
「…は…?」
今度は俺が首を捻る番だった。
俺には兄弟はいない…筈なのだが…?
思わず頭の中で、壮大なストーリーを組み立ててしまう。
本当は自分には弟がいたのだが、彼の存在を隠さなくてはならない悲劇的な理由があり……
頭を掠めたそのストーリーは、すぐに有り得ないと破棄された。
母は俺が5歳の時、俺と同じ病名で亡くなっていた。
俺の出産後から体調を大きく崩し、入退院を繰り返していたと聞く。
そんな中で、父が2人目の子供を作ろうとする訳がない。
心当たりがまるでない事を告げてから、イワンさんと共に玄関に向かった。
我妻さん達も気になった様で、少し離れた後ろから付いてくる。
何かの間違いであるのは確実だ。
玄関で待たされている日本人の男の子とやらは、人違いでここに来てしまったんだ。


