ラベンダーと星空の約束

 



富良野の星空に想いを馳せた後は、いつもの様に翻訳作業の続きに戻る。



アナスタシアさんは、最近難しい仕事も、俺に任せてくれる様になった。



この前やった新聞や雑誌のコラムやルポなんかじゃなく、専門知識を必要とする厄介な仕事も回してくれる。



今やっているのは、日本の地質学に関する、とある論文をロシア語訳に変換する作業。



アナスタシアさんの下には小説など分かり易い分野の翻訳より、

大学の研究論文や企業の事業報告など、些(イササ)かマニアックな翻訳依頼の方が多く舞い込む。




「リュウなら出来ると思うわ」と、

俺の語学力を信頼し預けてくれたこの仕事。

今回は少々手こずっていた。



地質学は興味の範囲外だったから、専門用語がまるで分からない。



アナスタシアさんが参考にと渡してくれた資料や文献を読み漁っても、どう言うロシア語に訳していいのか分からず…

一度英訳して、英語の文献を当たってみたり、仏語や独語にしてみたり……



かなり苦戦しているが、没頭できる作業があるのは有り難い。



PC画面と資料と論文に目を走らせている間は、

富良野の星空も、ラベンダー畑も、意識が向かない記憶の奥へと姿を暗ます。




束の間の心の平穏とでも呼ぶべきか…

だから翻訳作業は嫌いじゃない。




 ◇


11時半頃早目の昼食に呼ばれ、その後も自室で翻訳作業に没頭していた。



二時間余り頭をフル回転させ、難解な文章に脳が疲労してきた頃、部屋のドアがノックされた。



開けずとも誰か分かる。

このノックの仕方は我妻さんだ。



『コンッ コココンッ コンココンッ』と、

ノック一つするにしても、ユーモアを追加する陽気な人なんだ。