私は泣いたらダメ……
あれ…?
これって、前にも同じ事を考えた気がする……
何か心に引っ掛かっている……
「紫ちゃん?行くよ?
まだ気になる所があるの?」
「あっ…ううん、今行く」
廊下に足を踏み出す瑞希君に呼ばれ、思考を一度中断した。
辺りは薄暗くなり、夕暮れの親密な光は、部屋の中からすっかり消え失せていた。
立ち上がり、空っぽの流星の部屋を最後にもう一度、隈(クマ)無く見渡す。
取り戻したこの本と私宛ての捨てられた手紙を持ち、廊下に出て静かにドアを閉めた。
私の姿を見て瑞希君が歩き出す。
その後に付いて、長い廊下に足を進める。
この廊下を歩くのもこれが最後。
流星が私の前から去り…
柏寮とも今日で別れる。
歩きながら滑らかな床板の感触を、肌に脳裏に刻み込んだ。
顔を横に向け廊下の窓から狭い庭に目を遣り、足を止めた。
西の空の切れ端が、隣接するマンションの隙間に見える。
夕焼けの橙(ダイダイ)色に染まる雲と、夜の紫色に染まる雲。
二色の雲が、グラデーションを付けた層になり混在する黄昏(タソガレ)時。
柏の古木に目を向けると、しぶとい枯れ葉の残るその梢に、冬の一番星が明るく輝いていた。
見えた星は一つだけ。
ここは遮る物が多過ぎて、富良野の空の様にいかない。
白く輝く一番星。
あれは何と言う名前で、どんな星座の物語を秘めているのだろう?
夏と違って冬の星空は…まだ流星に教わっていないから良く分からないよ……
分からない事だらけの私。
でも流星だって分かっていない。
流星の書いたこの本と、紫水晶の指輪が無くても…
星を見る度、あなたを想うのに……
茶色の瞳を輝かせ、富良野の夜空を見上げていた、まだあどけない表情のあなたも…
胸に大切な傷跡を抱え、東京の星空を解説した後、涙を流したあなたも…
星空を見れば自然と想い出が溢れ出す……
目を瞬かせ、唇を噛み締め空を見るのを止めた。
ブーツを履き終えた瑞希君が、玄関で私を待っているから歩き出す。
泣かないよ……
私は…泣いてはいけないんだ……