恋を知らない人魚姫。


「なんてね」

イタズラっぽく舌をチロッと出した櫻井くんに、

「も……もぉー」

愛海は肩を落として、苦笑した。


あたしだけじゃない。
愛海もまた、櫻井くんの言葉に踊らされている。

あたしの気持ちも、愛海の気持ちも分かってて……この人は面白がってる。


「月城さん、どうかした?」

わざとらしく聞いてくる、櫻井くん。

「……別に」

あたしは口調こそ冷静を装いながらも、スカートをギュッと掴んで、櫻井くんを睨んだ。


この人にだけは……絶対に愛海を譲らない。




――なのに、あたしは何をしているんだろう。

遠目に見る、愛海と櫻井くんの姿。
ふたりは貸出しカウンターで肩を並べ、とても楽しそうに笑い合っている。

その光景にため息をひとつついて、あたしはまた歩き出した。

片手に抱えるのは、返却されたばかりの数冊の本。
背表紙に貼ってある棚番号のシールを頼りに、それぞれの場所へ返して行く。

本当はこの仕事こそ、櫻井くんにやらせたかった。
あたしが愛海と話していたかった。

でも、愛海の気持ちを知っている以上、気を遣わなきゃならなくて……。