* * *

「俺のついだ酒が飲めないの~藤峰さん?」
「いえっ、でもビールおいしくな…。」
「飲んで飲んで!」

 杏梨の言葉は呆気なく無視されていくのはいつものことだ。杏梨は酒に弱い方ではないが、疲れている日はやや弱くなる。それに加えてビールが美味しいと思えるクチではない。ビールは残念ながら正直言って少々苦い。ただ、去年1年で学んだが、ひとまず注がれたビールは飲み干さなくてはならない。

「いっ、いただきます。」

 喉元を過ぎるビールに若干の苦みを感じながら、ふと雅人の方を見やる。今日の雅人は主賓であるため、数分刻みにグラスにはビールが注がれる。そんな状態の雅人には当然近付けるわけもなかった。

(…いやいや、近付きたいわけではもちろんないけれど。)

「ねぇねぇ杏梨ちゃん。」
「は、はいっ!」

 杏梨に声を掛けてきたのは学年主任の渥見だ。2児の母である渥見は40代一歩手前の経験、知識共に豊富な頼れる学年主任でもある。普段は穏やかで優しいが、ノリも非常によく年齢の割には悪ノリもするお茶目なところもある。

「そろそろ判押しちゃったほうがいいと思うのよねぇ私。」
「へっ?」

(判?何に?何の?)

 混乱する杏梨をよそに、渥見は楽しげに表情を緩ませながら言葉を続ける。

「だーかーらー!山岸先生と。」
「え?あー…あの話ですか。あはははは。」

 最近は本当に増えたのだ。雅人と杏梨がくっつけばいい派が。本人たちには全く興味がない話にも関わらず。

「だって本当に山岸先生が困ったときに頼るのは杏梨ちゃんでしょ?」
「…たまたま家が比較的近いですし、私の方が後輩ですし、頼みやすいんでしょうね。」
「それだけじゃないってば~。しっかり者の杏梨ちゃんになら任せられる!」
「あはははは。」

 もう『あはははは』しか杏梨には出てこない。それ以外にどうやってこの流れを断ち切れるというのだろう。