「その前の飲み会でさ、藤峰さんがめちゃくちゃ怒ってたやつあったよね?」
「あー…はい、ありましたね。その節でも大変お騒がせ…。」
「うん。そう。あの辺から、ほんとお騒がせだなって思ってた。色んな意味で。」
「…?迷惑だったってことですか?」
「違う違う。レンアイ不適応者がレンアイしたくなっちゃったってこと。」
「…は!?か、彼女ができたんですか?」

 意味がわからない。恋愛よりも仕事がしたいと言い続けていた雅人だというのに、突然どうしたのかと杏梨の頭の中はパニック寸前だ。彼女ができたとすれば喜ぶべきことなのだろうが、杏梨としてはいまいち素直に喜べない。これもこれで異常事態ではある。

「どうしてそうなるの。したくなったって言ったんだけど?」
「だから彼女が…。」
「彼女にしたい子ができたって言ってるの!」
「え、あ、あー…そういうことですか。ごめんなさい、早とちりしました。」

 雅人に好きな人ができた。これは確実に『おめでとうございます!』と言うべき場面であろう。それなのに、杏梨の口からそれは素直に出てこない。むしろ、職場を離れる寂しさからきていた涙が、意味を違えて溢れだしそうだった。

「藤峰…さん…?」
「え?」
「…何の、涙…それ…?」
「っ…。」

 指摘されて焦る。一体何の涙だこれは。さっきの涙は、職場が変わることへの不安の涙。そして、楽しかった日々を寂しく感じる涙だった。この涙の理由は、『寂しさ』だろう。ただし、意味は少しだけ違ってくる。

「ご、ごめんなさい!ここはおめでとうございます!ですよね?い、今止めますから!ちょっと待って下さい。」
「止めなくていいし、待てない。」
「え?」

 ぐいっと腕を掴まれたと思えば、頬は柔らかいスーツのジャケットにあたる。背中と腰に雅人の腕がある。

「っ…スーツっ!スーツ汚れます!涙ついちゃう!」
「どうせクリーニング出すからいい。」
「そういうことじゃないです~!」
「じゃあ、嫌だから離れたいってこと?」
「ち、違います!」

 反射のように出てきた言葉だった。