「冷えてきましたね。」
「そうだね。じゃ、帰ろっか。」

 何も言わずに、二人で空を見上げる。星が輝き、月は満月に近付こうとしている。

「今日は本当にありがとうございました。すごく助かりました。…来週は普通になれそうです。」
「それはよかった。俺も頑張る。」
「はいっ!」
「じゃ、また来週。」
「はい。また来週。」

 雅人はいつだって笑顔だ。辛い仕事もなんだかんだやり遂げる。(背中が疲れていることもよくあるけれど)そんなところは素直に見習いたいなと思う。

* * *
(…なんだったんだ、藤峰さん…。)

 怒っていたのか…と思うと、やたらに…

(真面目というか、ピュアというか…。)

 フラッシュバックするのは、少し潤んだ瞳に、紅潮した頬。いつも職場で雅人が目にする杏梨とは全くと言っていいほど違う姿だった。仕事ではきびきび動くし、背筋は真っ直ぐだし、やや毒舌だし、怖いもの知らずだし、ある意味自分よりも強いのではないかと思えるくらいには逞しかった。そんな彼女が、1週間引きずるくらいには嫌だった、困ってしまったことが自分のことだったとは、と雅人は少し驚いた。

(……ギャップ萌えってこういうことか…?)

 雅人もほぼ、杏梨と同じように考えていた。去年は彼女もいたけれど、結局振られてしまった。彼女がほしいという欲もあるけれど、それ以上に今は仕事のできる人間になりたかった。だからこそ、杏梨の言うことに納得できる。今は仕事が一番大事だ。誰に何を言われても。私と仕事、どっちが大事なのという問いに、仕事だと真顔で答えてしまうくらいには、本気に。だからもちろん、雅人の方だって杏梨は恋愛対象外のはずだった。少なくとも、初任の3年間は。

(…反則だろ…藤峰さん…。)

 雅人は頭を掻いた。ほんのり頬が熱いような気がする。

(…可愛いって、あれは。)

 いつも、何の気なしに可愛げがあるとかなんとか杏梨に言ってはいるものの、ここまで無条件に可愛いとなると、雅人の方が困る。

(…とはいえ、そもそも恋愛不適応な俺が今更恋愛とか、ほんとないな。それこそ。)