「よくお似合いですぞ、小次郎殿。殿より拝領の陣羽織に、その朱色の鉢巻きはよう似合っておる。
朱美殿の誂えとか、結構結構」

小谷新左衛門の言葉が、小次郎に朱美を思い起こさせた。
妻女然として振る舞う朱美だが、周囲の誰もが当然のこととして受け入れている。

小次郎の口からは一言もない。朱美にしても、小次郎に対して恋い慕う素振りを見せてはいない。
お婆に小次郎の世話を命じられて、渋々といった観の朱美だった。

朱美の小次郎に対する目は、他の誰もが持つ目ではなかった。
小次郎を取り巻く武士や女たちの光の失われた濁った目ではなく、鋭く射るような光を持つ目だった。

しかしその光の中には、 小次郎に対する真があった。
突如小次郎の脳裏に、すがるような目をした朱美が浮かんだ。

 しかしその朱美は、次々と悪態を吐いてくる。朱美の辛辣な言葉は、一々小次郎の心底に突き刺さった。
「此度の御前試合では、燕返しをご披露なさるとか。あのような小物相手に大人げないことで…」

また時には、小次郎の忌み嫌うムサシを口の端にのせた。
「あのムサシさまのように、諸国を巡っての武者修行でもなさればよろしいのに。
そうでござりますね、お着物が汚れてしまいまするか。ま、井の中の蛙…とならぬようにお気を付けなされ」

「ほれごらんなされませ。京の名門と称されまする吉岡一門が、ムサシさまに倒されたとか。
小次郎さまが『殿の参勤交代の折に…』などと悠長に構えられているからでございましょうて。
それとも…本当のところは、ご自信がなかったとか。ほほほ……」