しかしムサシにとっての闘いは、正に生きるか死ぬかだった。
相手を倒し懐中を探り、金目の物を奪う。生きんが為の所業だった。

勝負は一瞬にして決まった。誰もが、己の目を疑った。
血のりの渇かぬ櫂を持ったまま去りゆくムサシを、武士達は目で追った。

「卑怯なり! ムサシ。約束の時刻を違えるとは、武士にあらざる行為なり」

「卑怯なり! ムサシ。小次郎殿の口上途中においての、あの言動は」

「卑怯なり! 真剣を望みしが、何ゆえにそのような棒きれなどを!」

口々にムサシへの罵声が浴びせられた。定められた場に腰を下ろしたままに、声を枯らし続けた。

しかし誰一人として、小次郎の元に駆け寄る武士はいない。
仁王立ちするムサシの姿に、皆が気圧された。恐れをなした。

「鬼神だ、あの者は…」

誰かが小さく呟いた言葉が、武士たちの足を射すくめていた。
そして城代家老沼田延元の言葉が、居並ぶ武士達を納得させた。

「ムサシなる者、兵法者なり。而して小次郎殿は、剣客よ。
互いに、相容れぬ闘いであった。これは試合ではない。
ただの殺し合いであった。残念な事よ、誠に残念な事よ」

その言葉は、小次郎をして剣の天才としての誇りを捨てさせず、
ムサシを一人の時代遅れの兵法者として感じさせた。