小学6年生の2月、私は中学受験をして、第一志望の学校に落ちました。
 確かに私はその学校に受かるほど賢くなかったかもしれませんが、第二志望の学校に受かって、それですっかり浮かれる事が出来ました。

 中学に入って1年くらいは、毎日が楽しくて仕方ありませんでした。なぜか、小学校のときよりも気の合う友達が沢山出来ました。私は演劇部と剣道部を掛け持ちして、毎日どちらかの部活に出て、学校が閉まるぎりぎりまで学校に入り浸りました。

 多分、中学二年生の夏の頃、学校から帰ると急に母が真面目な顔をして、話がある、と言いました。
 二階の畳の部屋に正座をさせられて、やっぱり私は病院できちんと診察を受けて、治療をするべきだと言われました。私は一年生の時に中学で皆勤賞を取っていたので、学校を休んで病院に行く事が嫌だと言って泣きました。母は、わがままを言うなと怒ったので、私はまた泣きました。
 最終的に、私は午後から学校に行けるように、中学の近くの病院に行く事になりました。そこは私の病気を得意としているところではなかったので、私が今大人になって考えると、この選択は間違いだったのではないかと、思っています。

 そうして、その時から、私は病院に行くようになりました。鎧のようなコルセットを作り、全身に痣が出来ました。毎日吐きそうな痛みを抱えて、毎晩泣きました。コルセットをつけずに家を出ると、母が鬼のように怒るので、毎朝コルセットをつけて学校に行っては、部室のピアノの裏でそれを脱ぎました。
 辛いのは土日で、コルセットをつけて出ないと母に怒られるので、街中で痛みが激しくなるとその場で動けなくなったり、涙が出てきたりしました。それでも、たとえ旅行でも、友達と遊園地に行くとしても、コルセットをしていかないという事は許されませんでした。

 半年くらい経ってから、私はとんでもないストレスの解消を見つけてしまい、つまり、ものすごく買い食いをするようになりました。学校の帰りにパン屋で菓子パンを3つくらいかって食べて、それから夕食を通常通り食べました。3ヶ月で10キロくらい太って、ある日、私は、もしかしたら、自分が、今まで人生で、少なくとも、それにだけはなるわけないだろうと思っていた、【デブ】になっている事に気がつきました。
 で、今度は食べた物を吐くようになって、結局もっと食べるようになりました。
 私はいつもイライラしていて、学校でもとても尖っていました。いつも人の感情を無視して正論ばかり言って、それで自分は何も悪くないという顔をしていたので、一部の女の子達にはとても嫌われていました。でも、部活はまじめにしていたので、部活の子達とはとても仲が良かったし、正しいことを言うので先生からも好かれていました。だから、ますます私はつけあがっていきました。
 私はいつも何かに怒っていて、いつも何かの正義を語っていました。掃除はするべきだし、部活は出るべきだし、真面目に精進するべきだと語っていました。その反面、授業中は漫画ばかり読んだり、そうでなければ寝ていたりして、成績は信じられないぐらい悪かったです。それでも、自分はちょっと本気を出せばいい成績が取れると思って、真面目な子を馬鹿にしたりもしていました。背も、声も大きい私を、周りの人達は腫れ物のように扱っていたと思います。
 それなりの進学校の、中高一貫の女子校に行ったので、周りの子も結構真面目な子が多かったです。だからこそ、私の言い分を聞いてくれる優しいみんなは、私の友達で居てくれたと思います。部活動で全体を仕切って物事を進める時に私はすごい力を発揮して、すごい執念で物事を成し遂げていったと思います。でも、それもこれも、家庭でのフラストレーションの使い道が、そこにしかなかったからかもしれません。

 その頃、相変わらず母は、少しの事で怒っていました。私はまた健康の為に水泳を始めたのですが、私がちっとも水泳に行かないと言ってまた怒りました。母が怒るタイミングはランダムで、水泳を3日サボったことで怒鳴り散らす日があれば、一週間休んでも何も言われなかったり、おかしなタイミングで「今日は、休んだら?」とねぎらってきたりするのでした。

 私はますます、現実との間に一枚ガラス板が入るみたいに、自分の境遇を客観的に眺めるようになっていきました。毎晩毎晩、母に怒られては顔がパンパンに腫れるぐらい泣いて、手首を切ってみたりしたけど、誰からも何も言われませんでした。

 そんな日々が続いたので、結局のところ、私にはその頃の記憶がほとんど残っていません。断片的に、道路でコルセットが痛くて倒れたとか、先輩にコルセットをからかわれて殺意を覚えたとか、日曜日にコルセットを机の上に隠して遊園地に行ったら帰ってきたとき部屋の真ん中にコルセットがぶちまけてあったとか。日記に「死にたい」と数ページにわたって書きなぐったとか、なんだか、そういう断片的な記憶が数枚残っているだけで、あまり、詳しい毎日の事は覚えていません。

 ところが、中学を卒業する間際の春先に、同居していた母親の母親が死にました。祖母はそれまでも、たびたび脳梗塞をおこして倒れていまして、最後の数年はいよいよぼけたかな?という雰囲気でしたが、最後まで自分の世話は自分でして、そして突然倒れて、そのまま逝ってしまいました。
 
 私の母は、祖母の7人目の子供だったので、祖母は結構な年でした。でも上の5人は子供の時に死んでいたので、私がそれを知ったのはずいぶん後になってからでした。