「…またね、美由紀」
「………っ、待ってよ!」
そのまま隣の自分の家へと帰ろうとしていた那智を無意識の内に引き止めた。那智はそんなわたしの声に律儀に足を止める。
そして「…何?」と、いつもより低いその声で問うた。普段ならわたしに向けられることはない冷淡なその響きに、背筋にぞっとするものが走る。
「ねえ…那智は、那智はさ、今でも…田中さんのこと、引きずってるの?」
「…別に?」
「じゃあ…っ、何でさっきからそんなに泣きそうなの…っ」
そんなことないよ、と言う割に、いつもはしっかりわたしを見据える那智の瞳は今は揺れている。
うっすらと涙の膜が張られていた。
ぐっと唇を噛み締めて俯く。心臓が痛い。喉が痛い。焦がれる。
好きだ、好きだ、好きだ。
わたしはどうしようもなく那智が好きだ。決してわたしの名を愛しそうに呼ばないのに、どうしようもなく、わたしはこの男が好きだ。狂おしいくらいに、この男が愛しい。
「…美由紀、」
掠れたその声がわたしの名を呼ぶ。名付けようのない感情が喉元までせり上がった。顔を上げて那智を見れば、彼は困ったような、切ないような、複雑な表情でわたしを見ている。
――まるで衝き動かされたように、わたしは彼のシャツの胸元を掴んだ。
それを軽く下へと引き寄せ、わたしも心持ち背伸びをして。一瞬触れ合う前に、歯同士がぶつからないようにと動きを止めてから、そっと彼の唇と自分のそれを重ね合わせた。
初めてではなかった。…けれど、好きな人に触れるのは初めてだった唇は、不器用に震えた。


