「……おい」
鬼門が唸ると、酒童は尻を叩かれたように跳ね上がる。
鬼門が丁寧語ではなく「おい」という言葉を口にするのは、極めて珍しい。
「なにか喋りなさい」
鬼門はいつもの口調に戻り、酒童に命じた。
なにか喋れと言われても、鬼門を相手に何を喋ればいいというのか。
酒童は誰でも耳を傾けそうな、面白い話題を探す。
しかし、肝心な時に、バラエティ番組で明らかになった芸能人のあれこれが、思い出せない。
「えっと……」
酒童は口をもごもごとさせるばかりで、ろくに話題を出さない。
見るに耐えかねたのか、ついに鬼門が「あなたのことは」と口を切った。
「話したのですか?
ちゃんと、あなたの血のことを」
「誰に、です?」
「嫁」
即答されて、酒童は「へっ?」と腑抜けた声をあげる。
「は、班長までそんなことを……」
「なんです、その情けない声は。
間抜けたことを言っていないで、質問に答えなさい」
会話をしたことで緊張感は緩んだが、鬼門の表情は相変わらず厳格なままだ。
酒童は赤面し、頭から蒸気を立ち上らせ、「はひ……」と声を漏らした。
「は……話しました」
酒童が答えた直後、信号が青色に変わる。
再び車を発進させ、鬼門は、ふうん、と鼻息を吐いた。
「それで、彼女はなんと?」
「最初は、別れた方がいいと思って、別れを切り出したんです」
「で?」
「けど、彼女に引きとめられたというか、俺が自分に甘えてしまっただけというか……。
結局、今まで通りです」
「ああ、そう」
自分から訊いてきたのに、鬼門の返事はそっけない。
鬼門は前に視線をやりつつ、
「なかなか良い相手を見つけましたね」
とだけ、言った。
「……ど、どうも」
「あなたに言ったのではありません。
あなたのようなドヘタレを、そこまで恋い慕っている彼女を褒めたのです」
完膚なきまでに、鬼門は重ぐるしい声色で罵倒する。
しかし、酒童はその悪口とは別に、いい意味で驚いていた。
鬼門は滅多に人を良いふうに言わない。
辛うじて数ヶ月前、初討伐に成功した茨に「よくやりました」と冷淡な激励を贈っただけだ。
だから鬼門が陽頼を「良い相手」と褒めたことに、酒童は目を見開いたのだ。
「……陽頼が聞いたら、喜びそうです」


