「……そうでも、ないんだけど」


 そう言った割には、天野田はずいぶんと嬉しそうである。

いかにも優雅な遊び人といった雰囲気が漂う天野田にしては、珍しい反応だ。


「……ねえ、茨」


 ふと思い起こしたように、天野田が真摯に茨を見つめた。


「んん?」


 天野田の言葉を待つ茨だったが、天野田は、「ううん」と首を振った。


「また、わからないところがあったら持ってきなよ。
教えてあげるから」

「ああ。ありがとう」



 茨は女も骨抜きになる、男らしい爽快な笑顔になると、


「じゃあ、俺はこれでお暇します」

「うん、明日は休みだから、また明後日ね」

「あい」


 敬礼すると、茨はリュックサックを背負うと、さっさと大部屋の出入り口へと歩いて行った。


「……」


 天野田が茨の手首を掴もうと手を伸ばしたのは、既に、茨が出て行った数秒後であった。