「右近はもう決めておるのか?」
「最期の言葉?」
「そうじゃ。」
「まだよ」
ポイッと、ゴミ箱にアイスの棒を投げる。
カコンッと音がした。
じわじわと、空が茜色に染まってゆく。
今日も一日が終わる。
「まだ考え中」
くっと伸びをすると、スタスタと台所に向かって歩いていく。
ガチャッと冷蔵庫を開ける音。
おおかた牛乳でも飲むのだろう。
右近はよく牛乳を飲む。
好きらしい。
フフンフフンと彼女の鼻歌が聞こえてきた。
「忘れな草のー花を御存じー?」
ピエロ伝道者。
右近が好きな坂口安吾の小説。
弓月は茜色の空を見つめたまま右近の歌に耳を傾ける。
右近自作の歌はその都度リズムも音程も違う。
「蛙ー飛びこむ水の音ーを御存じー?」
幾度となく聞いたピエロ伝道者の終わりのフレーズ。
弓月もすっかり覚えてしまっていた。
『忘れな草の花を御存じ?あれは心を持たない。しかし或日、恋に悩む一人の麗人を慰めたことを御存じ?』
一体右近はこのフレーズのどこが気に入ったのか。
耳に残るフレーズだとは思うが、好んで何度も歌うほどのものなのか。
『蛙飛びこむ水の音を御存じ?』
多分、右近は死の間際にこのフレーズを言うのではないか。
きっとそうだ。
もう何十回も繰り返してきたフレーズだ。
ここまで繰り返したのだから、死の時にも言ってほしい。
弓月はふっと笑みがこぼれる。
「空にーある星をーひとーつ、ほしいと思いませんっかー」
右近はあと何年生きられるのだろうか。
彼女の歌を聞きながら、弓月は机に突っ伏した。
じわじわと暑い、夏の日のことだった。


