「好きな作家は坂口安吾。わたくしもしつこく勧められたので一つ読んでみた。言葉のリズムは面白いが、何を言っているのかサッパリだ。」
空にある星を一つ欲しいと思いませんか?と弓月は小さな声で呟く。
小説の一節だろうか。
目を細め乙姫は口を開く。
「情でも湧いたの?」
「まさか。」
間髪入れずに弓月は返してきた。
「敵の敵は味方。それだけじゃよ。」
嘘つけ、と乙姫は心の中で毒づく。
本当にそうだったら、写真なんか残しておかないだろう。
思い出を語ることもないはずだ。
乙姫の目がスッと冷たくなる。
弓月がその気になればアテルイの子孫を妖怪の味方になるよう育てることも出来るはずだ。
だが弓月は彼らを人間として育て続ける。
自分が育てた人たちに次々と先を逝かれて悲しいのは分かるが、いい加減にしてほしい。
結局弓月はどうしたいのか。
妖怪か、人間か。
乙姫がそんな風にイライラしていたら、弓月がポツリと呟いた。
「さよならだけが、人生だ。」
井伏鱒二という人が、「勘酒」という漢詩の訳で出した言葉じゃ。
右近が教えてくれた。
弓月は目を伏せたままポツポツと話す。
本当に、その通りじゃ。
死んでいった57人との別れを思い出しているかのようだった。


