「……このまま天狗が滅びてゆくのを見るか、九木に怯えず自由を手にするか。」
「……。」
「明日の朝までに決めろや。おらは明日には西へ向かう。おめえがその気になったなら、道中に契約について話す。」
男はくるりと方向転換すると、元来た道を戻ろうと足を踏み出す。
一歩、二歩。
サクリ、サクリと雪がなった時。
ポツリと背中に天狗の声が落ちてきた。
「わしはもう二千年近く生きた。」
脈絡のない天狗の言葉に男は足を止め、なんと返せばよいのかしばし迷う。
「す、すげえや。長生きだな。」
ようやく出てきたちんけな感想。
「もう寿命じゃ。わしの跡継ぎ、天狗一族の長となる者にお主からの提案に乗るか乗らないか判断を任せようと思う。」
男は思わず振り返る。
天狗の顔を真正面から見つめる。
二千年生きたというのに、その顔にはシワ一つない。
けれど目だけは、年を重ねた者にしかない憂いを帯びていた。
「もし明日、お主の元に天狗がやってきたとしたら、そやつは弓月という天狗じゃ。よろしく頼む。」
何がよろしくなのか分からないまま男は頷く。
それを見た天狗は満足そうに微笑み、暗い夜にすっと消えてしまった。
優しい風が頬を撫でる。
それに合わせて、雪がまるで砂のように舞い上がる。
半月の浮かぶ、静かな夜だった。
男の名はアテルイ。
彼と天狗との契約が、後に1200年もの間九木を苦しめることとなる。


