ケセを失う事はそう大した事ではない。
 サフィア。
 あの子の命が守られるのなら。
 父親は娘には甘くなってしまうというが、ケセと両親の場合、それだけでは済まない何かがあった。
 両親はケセの青い瞳が嫌いだったのだ。
 感情によって秋の空のように澄み渡り、また深海の様に色を深めるその瞳が不気味だと、何度も何度も繰り返してケセに言った。
 両親は、自分の心の奥深くまで見つめられるような気がして、その青の瞳を好きになれなかった。
 しかし、そのような事を責められたとて、ケセに何が出来よう? 両親とも青い瞳なのだから自分の瞳が青いのはどうしようもない事ではないか?
 ケセの瞳から、急に涙が溢れてきた。
 感情が昂ぶった訳ではない。もっと生理的な涙。両親に気付かれぬよう、ケセは歩く。
 この涙の意味は何?
 ──それは我が愛し児になる刻が来た為ぞ──
 遠く、遙か遠く、もしくは近く、体温が感じられそうな位近く、その声は聞こえた。
 脳裏に響き渡る声。
 だけれども、花々や緑のような声ではない。
 ケセは生まれて初めて『絶対者』の声を聞いたのだ。
 ──恐るる事はない。進め。辿り着くのじゃ。魂の色を映し出す、その花の許へ──
 魂の色?
 ケセは不思議に思った。涙は止まらない。
 そして、行き止まりにぶつかる。
「お父様?」
「岩戸だ、封印が施されている。ケセ、その札を剥がせ!」
「札?」
 ケセはよくよく目の前を見やった。赤かったのが変色してしまったのか、それとも血でかかれてあったのか、どす黒い札があった。
 これを剥がせと?
 ──そう、疾く来よ。それを破ってしまえ。妾はそなたが欲しい。奇蹟の一つ位、見せてやろうではないか──
 脳裏の声の内容はチンプンカンプンだった。まるで理解できない。トクコヨって何?
 だけれども、そんな疑問を何処の誰にぶつければ良いのだろう? 視界が涙で霞む。
 ケセは背伸びして、札を引っ張った。
 するとそれはケセの手の中で赤いしたたりとなる。潤む視界の中でもはっきりと解る真紅の血。それをケセはズボンで拭き取る。
「これで封印は解けた筈だ。ケセ、どこか痛かったり気分が悪くなったりしていないか? 大丈夫か?」
「は、はい! お父様!!」
 自分を案じてくれたのが解り、ケセは嬉しさに頬染めて答えた。
 しかし、この先には一体何があると言うのだろう? フウインって何?
「ヴェロニカ、手伝え。岩戸を空けるぞ」
「はい」
 夫婦はそろって岩戸に手をかけた。
 ほんの少しの力で、岩戸は音もなく開く。
 光。
 それらが、薄暗い洞窟の中を進んできた三人を照らした。
 そして、こんこんと沸き出で、周囲を守る水の中にある浮島のようなものの上にその花はあった。
「綺麗……」
 呟いたのは誰であったであろう?
 三人が三人とも、同じ感想を持っていた。
 それは言ってみれば硝子細工のような花。
 透明で、澄んでいて、何色にも犯されない。
「さぁ、それを摘んでおいで。ケセ」
 父が言ったのと同時に、ケセの記憶は途切れた。そして、その場を声だけが支配する。
 ──この子供は貰い受ける。賢しら人間ども。妾が気に入りの土地を土足で荒らそうというのか?──
 夫婦は震えた。この幼い声の持ち主は誰だ?
 その声の持ち主は笑った。嗤った。 
 ──そなたらが摘んだなら花は乾いた血の色に変わり、腐り枯れたであろう。そのように汚い魂しか持てぬものに我が愛し児を、安心して託せようか? そなたらにはそれ相応の運命を母様と姉君様方に願おう。それに代わり、妾が封を破った罪、免じて遣わす──
 封を破ったのはケセであったがディオヴィカはそんなことには頓着しなかった。